DV被害とは <続編>
ドメスティック・バイオレンス・・・・夫婦を例にとってみます。「夫婦喧嘩でしょ!」
「口論程度で警察に来てもらっては困ります・・」と言われて、せっかく逃げ込んだにもかかわらずショボショボと家路に向かうことはよく耳にします。
例えば兄弟喧嘩というのは、体が大きい兄が弟に手を出しますがそれなりに加減をしていますよね。ボクシング競技においても体重によって階級が決められてますが、これはおそらく対等性を保つためのものだと考えます。
では、性も体の大きさも違う夫婦の間で喧嘩は成り立つのでしょうか。大概が夫の背が高く腕力筋力は優位に立ち、経済力もしかりでしょう。つまり夫が優位に立っていることになるのです。「誰のおかげで食べられてるんだ」「気に入らないのなら出ていけ」という会話のやり取りがあります。ここで、妻が怒鳴ったり物を投げたりせずに言葉を駆使して意思を伝えること、怒りや悲しみの感情を伝えることこそが、かろうじて対等な立場にいると言えるのではないでしょうか。
でも大概は、口論の後、夫は暴力で支配してくるのです。「こいつは口答えをする」「あいつは口が立つから」と自身を正当化してくる。
このような出来事が起きても離婚に至るのには時間が必要となっているケースを見てきました。「夫に負けたくない」「夫を許すものか」という心境なのでしょうか。それと経済的理由ももちろんありましょうが。「屈服するなら社会的制裁を加えてやりたいと・・」と思う方も多いのではないでしょか。
加害者である夫への法による強制力は、期間限定の<保護命令>しかない。妻が逃げて姿を隠すしかないというのは、アンフエアでしかないと考えるのでしょう。
児童虐待と同様、DVにおいても暴力の加害者は放置され、被害者が保護されるという措置はどう見ても不平等だと思うのでは。
DVをふるう夫への処遇は、すでに、アメリカにおいては逮捕後に行われる刑罰代替によるプログラムとして実施している。これは実刑か更生のための選択をさせる司法制度です。カナダにおいてはDV罪で逮捕された男性が毎日のように更生プログラム参加を義務付ける判定を受けている。このプログラムでは、再発防止や被害者に謝罪して責任を取ることなどが目指されている。
日本は被害者だけに負担が強いられているDV防止法はいかがなるものかと考えます。
* 支援者(援助職)として中立的立場に立てるのであろうか?
(前回)ACのところでは言いましたが、「親子関係に中立はない」ということに気づかされました。<親の立場>か<子の立場>しかないのではと。こうなると、DVの場合も被害者側に立つしかないのではと考えました。
* DV被害者は加害者意識に満ちている (続く)
(G記)