DV加害者プログラム
ここ最近の天候ですが、真夏日、翌日は夏の終わりを迎えたかのような、黄昏を迎えたような水が引いていく感覚になり、全く落ち着きません。
コロナは依然、猛威を振るっているようです。オリンピック開催まで30日を切ったというのに街中は穏やかさがまるでありません。飲食店が早く閉めるというためか道路で酒盛り、宴会を始める方々などがテレビで大きく映し出されています。一方、香川県においては高齢者(65歳以上)枠のワクチン接種もまだ終えておらず不安だらけの毎日です。
コロナのせいで自宅時間を多く過ごすことにより親子の密が褒めたたえられる一方で弊害も起きているのが現状です。新聞紙上では、「虐待、DVの増加」と記載され、離婚、貧困騒ぎにまで発展し、日常生活が酷く脅かされてきているとある。
このようななか、個人的現況としては「DV加害者プログラム」という勉強会(女性精神科医・女性弁護士先生を中心)に今春から参加させていただいております。今、30人足らずで職域は多岐に渡ります。“加害者から傷つけられたくない、加害者にはなりたくない”と言われるよう否定されるべき存在としてのイメージを抱いているのではないでしょうか。加害・被害というとこれまでの多くは法廷、警察とかの管轄で使われてきたように思う。それが徐々に職場、学校、家庭のなかで使われることが際立ってきたように感じる。被害というネーミングにより、これまでは仕方なく一人で耐えてきたが、皆が声を上げ始めたからではなかろうかとも考える。社会もそれらに対して注目し始めているのも事実です。
これまでの臨床の場で、いわゆるカウンセリング業務の中で被害の実態を知れば知るほど被害を与えた人々に憤りを抱かされたことも多々あった。相談者からの語る言葉より初めて加害者イメージが浮かんでくる。でも、子どもの語る中では親が加害者となる。時間と共に加害・被害の境界が不明確になってきたのも本音です。
私事ですが、これまでの臨床に携わる中で、流行語(1965年頃)にまでなったアダルト・チルドレンAC(ACOA)とかかわらせていただいた。定義としては「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」とある。もともとはアメリカの地でアルコール依存症治療に関わる人たちから生まれた言葉である。語源より、ア症の親の元で育った人たちのことを指していた。酒に酔った父親は妻に暴言暴力をふるい、子供を虐待する。娘への性虐待も珍しくはない。「周囲の誰かが困っているにもかかわらず、習慣的な飲酒がやめられない人」がア症の一番簡単な説明です。最後は家の中で「俺の働いた金で飲むのに何が悪い」と大声で放ちしばしば記憶を失うのが常である。この間、妻・子どもに対してどれほど大きい影響を与えているかを指摘したのがACだった。
並行して機能不全家族をあてたことも大きな原因だった。<Alcoholics>の代わりにDysfunctional Family> これによりACの範囲が拡大化された。家族内の軋轢、抑圧を感じていた人たちがぴったりと機能不全という言葉に当てはまっていった。彼らは納得しACと自覚し始めた。
本来ならば親から罵倒暴力されることで身体化症状、非行という社会不適応症状を核にして家を捨てるが、彼らは第三の道を選択した。アメリカにおいて(1980年代)「私は親のようにはならない」というタイトルの本(C.ブラック著)が出回り、子どもが両親を支えるという親子の役割転換が起き始めていた。こうして家族に適応していくというやり方です。その役割としては①責任者②調整役③順応者の3つの役割パターンであった。
「思い起こせば、ずっと親の期待を満たすためにだけ生きてきた。対人関係においても周囲の期待に添うことばかりを優先させてきた。自分の欲望、意思を自覚することに罪悪感がある」という。家族を支えるためのサバイバルスキル(否定的自己認知)だけを身についてきたのだ。彼らは必死に生きてきた、責められるべきではないはずだが、世間では「いつまで子供のままでいるのだ、人のせいにするな」「親のせいにするな」と非難された時代があった。親においてはほとんどしてくれたことに対して無自覚である。ここで「あなたが悪いわけではないのよ」(免責)と当時何故、言えなかったのか。こう声かけすることでACは荷下ろしができたはず。ここにいたることで初めて「自己責任」なるものが見えてくる、いわゆる転換点となる。被害者としてのAC,加害者である親、日本の家族のタブーに対しての挑戦となった。
以上、今回はこの辺りとしておきます。
(G記)