ソーシャルディスタンス
「ソーシャルディスタンス」という言葉を耳にされたことがありますか。今年2月末ごろうよりコロナウイルスの話題が過激となり、今も収束することなく蔓延している状況です。
この状況下から発せられた単語です。ディスタンス<距離>と訳されます。社会的距離が厳しく問われています。これまでの我々が用いていた単語「人と人との関係」を拡大化したものでしょう。心理療法には関係性を重要視しながらカウンセリングを進めていきます。
パーソナルスペースという概念が注目されていたのは半世紀前のことです。誰しもが他人との境界線を心にもち、1,2メートル以上を開けましょうと言われた。しかし、我々の言う距離とは「心的距離」を言い、膝と膝が重なりあわない程度の距離を取り、向き合う。こうしてロールプレイの練習を重ねてきたが、今はその境界域を変えていくしかないのでしょうか。
今は、人と人との「物理的距離」の取り方が問われています。百貨店は閉じ、地域のスーパーマーケットは開いてはいますが、最近は透明のパネルで仕切りができました。レジでは間隔を詰めすぎていないか、電車内で座る位置は適切か。朝のテレビ報道番組ではスタジオと自宅をつなぐなどの工夫がなされています。これまで、他人との間合いをこれほどまでに意識はしていなかったのではなかと思います。電車内の長いすには“8人掛け”と明記さえしていたが気にしないでいた。つまり、コロナウイルス感染拡大を防ぐにはどれほどの距離を取ったらいいものなのでしょうか。厚労省は2メートルを提唱してきた。かなり、風通しが良く、込んだ話もしづらくなる。
ソーシャルシャルディスタンシング(社会的距離の保持)は今や世界共通語になってるという。一方、WHOは先ごろこれを、フィジカルデスタンシング(身体的距離の保持)と言い換えた。“体は離れていても心の結びつきは失わないで”という意味らしい。寄るな、触るなという訴えが先行しがちで社会的、個人的トラブルが起きているが、だれも孤立させることなくいってもらいたいものです。
とにかく、早く収束してほしいし、個人管理、世の管理ですので粛々とやるしかないのでしょう。
面白い替え歌がありました。さだまさしの「関白宣言」の歌替えです。口ずさんでみて下さい。
(G記)