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30年度がはじまりました。春は何かと行事が多くあたふたとします。日本人の差別意
識、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント未解決な問題が山積みです。そのような時、目に留まった「折々のことば」を掲載することにします。今後、自己覚知にいたる道具になれば幸いです。
“真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。”
飛行士である作家が受けた教訓。長い奴隷生活から解き放たれた老男が新天地で自由を味わうなか気づいた。「世界がいかに自分と無関係」かを思い知ったという。そこで持ち金すべてを町の子らへの贈り物に使うことにした。彼らの「希望の重量」が自分にかかることでやっと、自らの存在を量り知ることになったということを。
“悲しい自分が見る風景は悲しい” 随想集(豪雨の前兆から引用)
旅情には「失意と悲哀」がつきものだ。車窓をよぎる風景のなかに「悲嘆にくれる自分」が含まれて旅情は成り立つと作家は言う。かつて人は流行歌のなかで「北帰行」や「海峡」にそのような思いをこめた。駅では別れを惜しみ、沿線では人々が汽車に向かって手を振った。「汚れた過去」からの避難場所として旅はあった。では昨今の旅の「情」とは?
中本忠子(ちかこ)
“「助けて」って言う言葉をかけられたことある?”(あんたご飯食うたん?から引用)
その経験がない人に「何を言ったってわかりゃせん」と、長年子どもたちに無償で食事を提供してきた元保護司は語る。電気もガスも止められた家の子。暴力団の家族の仕事、母の薬物注射を手伝わされる子。そんな「重たい」環境にいるから、来ても「よう来たの」としか言わない。お腹いっぱいになればいずれ「聞きたくないことまで」話し出すからと。
“他人に語らない部分にこそ、社会が注目すべきものが逆に映し出されていると考えています”(AERA3月12日号より引用)
「当事者の話を聴くことで何か分かる」と思い、聞きたいところだけ聞くところに「インタビューという手法の敗北」があったと、今も東北の被災地を訪ね歩く社会学者は言う。聴き取りとは本来、己の理解の彼方にあるものに気づき、絶句することから始まるのだろう。ジャーナリストのR/L/パリーとの対談(霊や夢として「今」に存在する)
“デイベート(討論)は、話す前と後で考えが変わったほうが負け。ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない”
対話(ダイアローグ)は共通の足場を持たない者の間で試みられる。呼びかけと応えの楽しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、埋まらない溝を思い知らされたあとの沈黙の交換でもある。討論(デイベート)よりおそらくはるかに難しい。
朝刊を読みながら気づいたこと、考えさせられた内容を抜粋してみました。何かの参考になれば幸いです!
天候はむろん、TVをつけると女性問題、政治問題が目に付くこの頃です。
穏やかに過ごしたいとのぞむのは私だけでしょうか?いつになく開花が早かった桜、散るさまも潔く素敵です。県内発の「断酒会」を立ち上げた岩崎宏明さまが先日他界されました。葬儀に参列しましたが、まるでその場が断酒例会上に様変わりし、体験発表が執り行われました。棺の中の岩崎様は美しく、懸命に聴いて下さっていたようでした。今後も、香川の我々を支えて下さるのであろうと手を合わせました。