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岡山の地に、8月末に中国四国アルコール関連問題研究会に1泊で出席してきました。統一タイトルは「アルコール医療は精神医療の原点」と題され 一般演題、特別講演、シンポジウムをくり広げられました。2日目のシンポジウムにおいて「家族の回復」というテーマで発題された某方の発言のなかで「アルコール依存症は家族ぐるみの病気というが、表面的にACと片付けられていく問題ではなく家族に及ぼす影響の大きさをこのケースを通して教えてもらいました。」と述べられたが、正直首をかしげるものでした。ACという言葉のまずさをつきつけられたように聞こえました。不全感を抱きつつ帰路へと向かったものでした。
確かにACという言葉がブームになり本も多数売れ<自分はまさにACだ>と言い、一躍、日本中がパニックに至ったという経緯もあります。でもそれはそれで自己認知をし、<自分が悪いのではなかった>と荷降ろしをし、少しでもこれまでの生きづらさの解消しようとしたものだと思えました。(ACは決して診断名ではありまません)しかし一方で<こうなったのは親のせいや>と親を責めにまわった社会現象(一部ですが)も事実ありました。これには私も困惑しました。回復してゆくのは大人としての自分の責任であることを放棄してしまったのではないかと案じたのです。現在の自分に責任を持っているのは、親ではなくて自分だと思います。・・・ACと自己認知することは、親を責めたり嫌いになったりするものではなく、自分を点検する作業だと思います。今のこの現実をそのまま認める作業だと考えます。難しいですが・・・。
むろんこの途上で怒りの感情が出て来た場合は専門家の門をたたくとよいのでは。<親に向かって直接怒りをぶちまけろ>とは言いません。おわかりいただけたでしょうか?
そこから家族とは何かを・・・織りなす綾を見出してゆくのです。お互いのキョリ間を見出してゆくことになります。更に生き方がバランスを取り戻してゆくのだと思います。
長々とつらねました。あの日あの時間に手を挙げればよかったのですが、勇気がなく紙上でおもいを語らせていただきました。(このことが発表者の目にともるか否かは?ですが)
いきいき村で開催でした。 (G)