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―― は じ め に ――

 正直何を記載しようかと考えあぐねているところに、運よく、NKHの「ハートでネット」が放映され見ることとなる。今日のテーマは「精神障害者の歩み〜戦後70年」と題してスタートした。以下内容をかいつまんで記載することにする。
 大きく1950年・1970年・2000年と区分して見ていった。日本国に1950年「精神衛生法」が制定。運悪く、1964年ライシャワー事件が起き、世間では”野放しを止めろ”と声が上がり、病院に隔離収容されることになる。このとき日本では130万人の病者がおり私宅監禁されており、うち2%しか入院が出来ず放置されていた現状であった。1970年に入り患者が「地域で生きる」ということが模索され始め、三枚橋病院が開かれた病院として鍵をかけないことを信念とし開院され、共同住宅も運営してゆくが、民間病院のため、政府からの経済支援を受けることなく斜陽となる。このような流れの中、「ノーマイラゼーション」がなくなり、「安上がりの管理」をしていく病院があちこちに登場した。1984年には「宇都宮病院事件」が起き、入院患者への暴力などが発覚し始めた。そこからヤット国は動き始め1987年に「精神保健福祉法」を制定し、患者さんの生の声が聞こえてくるようになり始めた。しかし、先進国のはずである日本は、病床数が諸外国と比べて横ばいでまだまだ削減にはいたらないという現状がある。そこで、当事者でもあるNPO法人の「大阪精神医療人権センターの副代表の女性が「悩んだときの心の弱さ、ゆらぎを<悩む力>と捉えてくれればありがたい」と述べていたが重みのある言葉である。「今後は地域の見守りの中での関係をつくっていくことに意を注ぐ」とも述べていた。
 今夜は偶然、放映が目に留まり30分間見ることになったが、私の年代の医療関係者は全ての現実に生き、現在へと橋渡しをしたことにも多少の貢献はしたのかしらと思いをはせたのも事実です。

(G記)

編集後記

 5月の最終土曜日に1泊で自主研修で下関に行って来ました。研修を終え一人でサイクリングとしゃれ込みました。山口県は異国情緒あふれております。教会があり洋館の建物もあり、古きよき時代が思い起こされます。ペダルを踏み唐戸の市場に着き、新鮮な河豚の握りずし1個、から揚げ1個を食べてみました。美味でした!(味がわかるの?と言われましょうが)河豚の肝も食べてみました・・・しびれた感があるように感じてしまい多少ひやひやドッキリでしたが・・・。そこを出て船着場に出向き、10分足らずで到着した巌流島を散策しました。小さな小さな島です。昔ここで若い二人が戦い力を競い合ったんですね・・・。なんだかのどかに感じました。同伴者がいればもっと足を伸ばせゆったり出来たのでしょうが力尽き駅に向かい小倉より新幹線に乗りました。新下関は新幹線の本数がすくなく、九州の地に足を突っ込んだのです。また出かけたい思いを残して帰路へと向かいました。

(G記)