―― は じ め に ――
「第60回精神保健福祉全国大会」に出席するため、宮崎県宮崎市に出向いた。市は3万人少々で、さぬき市と大差はないものの、市民文化センターを取り巻いての文化施設はかなりの力が注がれていると感じた。当日、天候にも恵まれて県外からの参加者も多いものであった。(穴吹大ホール並み)
開催日は平成24年10月26日(金)で開催テーマは「こころを支える〜災害時の心のケアと地域の絆」で、記念講演は「生きながら生まれ変わる」と題して、歌手の米良美一さんであった。後半のシンポジウムは大会テーマに即して、宮崎大学医学部教授の石田康さんはじめ5人の宮崎県内で活躍をされている方々であった。
はじめにこれまでの「精神衛生法」から「精神保健福祉法」に移行した経緯をのべ、厚生労働省は昨年、精神疾患を5代疾病に含み、治療目的の入院から在宅看護へと移りかわる。この大会は昭和28年、日赤の提案で初回開催され、互いに支え合うというノーマイラゼーションという理念を貫き今大会で60回を迎えたという歴史的背景の説明であった。米良氏の講演内容は、これまでの普通でない自分の人生(生を浴びた時から先天性骨形成不全症と診断され、地域のなかでの生活はなく、家庭もその疾病に振り回されて夫婦喧嘩が絶えない機能不全の家庭の中で <自分がいるから喧嘩になるのだ・存在しなければいいのだ> との思いに支配されて18歳を迎え上京をした)を受け入れ、27歳で宮崎駿監督の目に留まり脚光を浴びるが、なおかつ幼少期の不全(親子関係)が再燃して苦しみ悩むが、よき理解者との出会いで、自分の愚かさ、多くの過ち、失敗、を繰り返しながら今日を迎え、自分自身との格闘を続けてはいるが、今も、このことが人生に生かされている、と話をされた。講演の途中「ヨイトマケの歌」を披露くださる。
この歌には米良さんの苦しかった人生が織り込まれ、納得している自分に語りかけているようでさえあった。
シンポジュウムにおいては、災害支援において医療に求められるものとして「差し出す」医療〜「支える」医療〜「寄り添う」医療へと変遷し、時間経過と共に技術力から人間力というものの必要性を体得したというものであった。シンポジストの先生方の意見としては つなぐ先とつなぎ方というもの 役割分担をし 顔見知りになるという事の大切さを語られた。記念式典として、精神保健福祉事業功労者表彰があり、厚生労働大臣表彰の一人として授与させていただきました。40年前、職場に就いた時から今日まで精神医療は変遷し、棲み分けは整ったようにも思えますが、課題は山積みではないでしょうか。「長きに渡りご筈労さまでした。今後共是非ご活躍ください・・・」とお言葉をいただきましたが、私の席のあたりは、いわゆる (65歳以上)高齢者と言われる方々で取り巻き、精神医療に終わりがあるのかしら、引き際はいつなのかと考えさせられた一瞬でした。
今回、出席できましたこと、また支えてくださった職員、患者様、家族に感謝致します。ありがとうございました。
(G記)
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