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(G記) |
前回に引き続き、福永武彦の作品からつなげてゆく。
福永武彦の作品には、水の風景が頻繁に登場する。『心の中を流れる河(かわ)』『忘却の河』『海市(かいし)』……。福永自身、幼いころから繰り返し「河」の光景が夢に現れたと自著で語っている。『廃市』を生んだ源も、その原風景を作った「河」だったのかもしれない。 |
福永は幼いころ、母親を亡くした。当時、親子3人で暮らした福岡市浪人町(現同市中央区唐人町(とうじんまち)周辺)を歩き、幼年期の記憶がほとんどないという福永の心の中の「河」を探した。 川はすぐに見当がついた。だが、それは福岡市中心部の大濠(おおほり)公園から博多湾に向かって流れ出る排水路。江戸時代からあり、大正末期に付近で遊んだ福永少年も、その流れは目にしたはずだ。戦前は「お堀」、戦後になって「黒門川」と名付けられたと、近所の人が教えてくれた。今では暗渠(あんきょ)となり、上を片側2車線の道路が走る。 軽井沢の作家というイメージが強い福永だが、18(大正7)年に福岡県二日市町(現筑紫野市二日市)で生まれ、3歳から8歳までの4年半を福岡市で過ごした。両親と3人で暮らし、当仁(とうにん)尋常小学校に入学。母親を亡くしたのは弟が生まれた直後、7歳になったばかりのころだ。 翌年、父親に連れられて東京へ。弟は養子に出され、母親を思い出させる一切から遠ざけられて育ったという。以降、福永は10代のころ一度、父親と九州旅行をしたほかは、亡くなるまで九州に戻ることはなかったという。 |
水の音だけが純粋に広がってゆく・・・作品の中に出てくる川は家族の風景ってのがあまりない・・・水の音しかなかったのである。
映画のラスト。「僕」の乗る動き出した列車を追いかけながら、下男の三郎(尾美としのり)が叫ぶ。「この町じゃ、みんなが思うとる人にちっとも気づいてもらえんとですよ……」
原作にはないせりふだが、時間の歯車が狂ってしまった町で互いの思いがずれ、届かなくなる愛の結末を描いた、切ないシーンになった。
なぜ、この頃に福永武彦の本を再び手にしたのか? ひょっとして昔(ひと昔、ふた昔かな)みそじ(三十路)の頃に、医局のドクター達と語り合ったことがなつかしく想い出されている今日この頃かしら。福永の作品もよく登場した。「開放病棟」に向けて〜どうするかの議論も交えた。何十回も話し合い〜完成した棟。今回は、管理者の鶴の一声でThe
Endとなった。涙もな がれず・・怒りの感情のみが突出した。時がゆったりと流れるようになり、寂しさが出てくるのかも―。