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信田さよ子さん講演会 (2003.1月12日 午後1時半〜3時半)
昨年より、楽しみにして待っていた信田さよ子さん(臨床心理士・原宿カウンセリングセンター所長)の「愛情という名の支配−虐待の背景」と題した講演会が、県民ホールにて1月12日に開催されました。定員500名でしたが、超満員。
同講演会の実行委員長は後藤先生で実は、信田さんと先生は懇意であり、「コア」という会の名称も信田さんの賛同があったそうです!(私はとっても感激です。皆様もきっと同じだと思います)。
グレイのスーツに赤いメッシュの入ったヘアースタイルで登場したオシャレな信田さん。メディアによく登場され著書も多くサイン会も行われ大盛況でした。その心に響く感動の講演会のもようを、次にご紹介します。
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(私がノートに筆記したものなので、全記録と迄はいきませんがご了承ください)。
アディクションは依存症と同じで"わかっちゃいるけど やめられない"と云うもの。ACや共依存について書かれたクラウディアブラックの"私は親のようにはならない"という著書がある。
ベトナム戦争でPTSDが注目される様になったが、戦争に行かなかった人は緑の芝生の上で平和に暮らし実感がわかっていない。
虐待の共有という事で、ACブームがおきたが、アルコール依存症は、家族の問題でもある。例えば、夫が十五年間依 存症であれば、家族は傷つきまくりである。その間、妻は苦しみ続ける。しかし一番ひどく傷ついているのは子どもであると云う事を発見した。お酒をやめてそれでハッピーエンドにはならない。
子どもは、家族をのがれて生きられない。親は子どもに対して好き放題しているが、子どもには(親の)正体が見えている。原宿カウンセリングセンターに「ACだ」という人が多く訪れた。
ネグレクトは低体重や不潔といったことで第三者に発見されるが、言語的、心理的、性的虐待は、証拠がなく発見されにくい。虐待は証拠のないもの程、「愛情の一環として」ということで(偽りの理由で、)行われる。
「私はACです」と言って訪れる人が私(信田さん)は大好きである。例えば、45才の娘が70才の母親に対して「親の期待が多すぎてしんどかった。」と訴えても「45才にもなって前のことを何で今さら言うの?」と聴いてもくれない現実がある。
子どもが生まれても夫婦の不和や貧困といった問題がある。
DVは親の立場か子どもの立場しかないが、両者の言い分がイーブン(同じ)になっておらず(笑)、圧倒的に親の言い分が強くなっている。世間の常識が親に味方している。
家族の中の暴力は被害者が孤立する。アルコール依存症の親がいる家族では、子どもが親を支えているが、親は、「子どもから支えられている」と云うことをわかっておらず、二重の過ちを犯している。子どもに支えられている親は子どもが親孝行だと思い、「自分の育て方が良かった」と思っている。しかし、親を支えていい子でないとその家族でサバイバルできない。素直で大人しいのが、あたかも性格のようにみえる。アルコール依存症の家族は生存のサヴァイバルスキル、生存の技術を持っている。
ACは、被虐的な環境を行きぬいて成人になって話始めた人。生きづらさをかかえている。
ACの最大のポイントは免責性である。「それはあなたの責任ではない。そういう環境で育ったのだからしかたない」といったん信頼する人から承認してもらわないといけない。ずーっと親から奪われ続けた人が再び自分の人生に責任を持つことができるようになる。
いったんは、自分の大切に思っている人に言ってもらって背中の荷物を降ろす必要がある。
(以下続きは次号にて書きます)。
如月(きさらぎ)三日 節分の日に 水仙月