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「第23回香川県断酒会家族一泊研修」  ― 後半 ―

 ここでフロアーにいる奥様方が前列に出て、水沢先生の監督のもと、サイコドラマを演じ体験しました。5人が横並びで腕をがっちりと組みます。その中心となる人物が、下へ下へと沈みます。両サイドの方は下におりまいとがんばりつづけます。しかし腕はかなり疲れてきます。時間と共に苦しくなり片側づつを離す人、でもまだがんばって組んでいる人・・・。感想を求めます。離した人は、「しばりから解放されて楽になった」 支えている人は「疲れてどうしたものか決めかねている」とのこと・・・。この時、中心の人物は、のち辛い生き方を余儀なくされ、無理な自己治療へと至るようになるのです。
 先に、「根っ子に問題がある」と言いましたが、某人が酒を一生懸命止めていた・・・。ところがギャンブルにのめり込み → うつ → 買物 → 異性関係とまわり、結果アルコールに戻ってきたケースがあります。これは、手を着ける問題にきちんと手を着けていないから巡回したのです。これをりんごの樹に例えてみると美味しいりんごが沢山なっていますが、りんごを実らすのは根っ子をきちんと手入れしておくことが大事となるのです。
 アルコール等にのめり込む人は心の上半分が満たされていないのです。つまり虚しさ、寂しさ、悲しさがあるのです。これを<見捨てられた不安>といいます。こうして大人になる。心が満タンにならないので、違うモノで埋めてゆくのです・・・こうして偽りの自己が形成されるのです。そこで「自己否定」〜「自己肯定」をするのに2つの原則を用います。1つは即効性のあるものを選ぶ訳なのです。一口で一目ボレというものです。2つ目は激しさです。ほどほどでは駄目なのです。徹底的にする・・・だから酒なら1合でなく1升となるのです。でもこういうので埋まるハズがないのです。健康な方法で埋めることです。これをどうやって手をつけていくかというと、自分の棚卸しをすることです。自分の人生はどうだったのか、どのような課題を持たされてきかたのかに気づいていくことです。小さかった時に出来なかったことを、大人になった今、自分のためにすることです。こうするのが再発の防止となってゆくことだとくくられました。
 冒頭で死んだ兄さんの話が出ましたが、この兄さんからの遺言をいただいて今のご自分があるということでした。「結局お前には、俺のことなんかどうしようもなかったではないか。偉そうなことを言っても俺のためにはできなかったじゃないか」ということを残して下さったと。 「だから、お前は、自分のことを、もっとやらなければならなかったんだ。そうしないと何をやっても上手くゆかないんだ」ということに気づかされた・・・というメッセージを受けとり今日もがんばれている・・・とのことです。
 ヒゲをたくわえた口もとから、ほとばしる言葉、言葉・・・会場は盛りあがり、ハット気づけば夜9時をまわり、水沢節にひかれ聞き入っておりました。

(文責G記