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統合失調症のKさんのこと (1)

 Kさんは統合失調症の病名がつけられ、私が勤務をしている年数と同じだけ、S市民病院通院中の方であった。所謂私にとっては、おなじみさんであった。そのKさんは65歳になる直前で息を引き取った。Kさんは若いときから働いていた。不十分な内容で叱られながらも会社がバブル期終焉まで働かせてもらえたことを歓び、年金をもらえて親に迷惑をかけることも多少は減るかなと口癖のように話、微笑んでいたのが嘘のように、最近のKさんの容姿は一見して、若者の言葉を借りれば、ダサい、とろい、古いというスタイルでした・・・。メタボと言われる時代にはいり、自己管理が進みかなり体重が落ち70(限りなく近い)kgをキープできていたが逆に老いた様を見せつけられた。若い頃は100kg!近くあった・・・。その身体で曲芸師のように爪先で歩行をして見せててくれたものだ・・・。山奥で忍者の修行をつみ、悪をやっつけるのだ!という。披露後は体中から汗が吹き出ていたものだ。Kさんは富裕層で生まれて跡取りを保証されていた坊っちゃんであった。中学にはいりいじめに合う・・・生まれた時より両耳が欠損しており、手術にて耳穴をつくり皮膚移植をして耳たぶを作るが、かれこれ60年前のことだから、完成品は決して人並みとは言えないものであった。それが原因でひどいいじめに会い、高校進学するのがやっとであった。
 症状としては幻聴、なりすまし武者だったり、自閉的な生活へと追いやられた。第3世界と交信を始めたのだ。そして、時に、手術をした医者たちを告訴するとわめき・・・・抑制するにはなかなか手ごわいものであった。
 そのようなKさんだがP科入院は通院当初の1週間のみで、あとは通院治療のみ。間で内科にちょくちょくお世話になる程度でやれていた。両親もまだ若く、自責感からかかなりの手間暇をKさんに惜しむことなく投入しながら関わり続けた。自宅も病院近くに新築をして、通院がしやすいように考案し、かなり恵まれた環境下にあった。父親は厳格な方で日本古来の大和魂を持った方でした。母は良家のお嬢様という家庭環境で子育てをされていた様子が伝わってくる。互いの品格が漂っていた。
 そのような中、母親が体調不調などで、家の動き方が変容し始めたなかでKさんは将来の自分の姿を映し出し、悲観のみしかなかった様子であった。5歳離れた妹(こよなくかわいがり迷惑をかけたくないと常に考えていた)がいるが県外に嫁ぎこの家族の輪からは常に外れていた存在でした。(つまり、病者を理解することなくことを進めていた)Kさんは母親が倒れたことを契機に、かなり病気を崩し始め、一人で遠出をし、終のすみかを探し求めており、足を池に滑らせて保護されては未遂に終わっていた。これが2回繰り返された。父親は其のたびに派出所に出向き捜索願を出して、事が大きくなり始めていた矢先のことでした。
 保護施設職員との口論(詳細は省く)の末「自分はこの世で不要」と落ち込むどころか、興奮し始め2度目入院をする羽目になる。
 このとき搬送に同伴をさせていただき、入院までの関わりをする中で「今日は天気が良くてドライブ日よりだ!始めての体験で嬉しい。良かった」と言い残して、入院2日目にして「息を引き取った」と連絡を頂いた。
 驚いた!「何故?」と頭に死という言葉が彷彿していた。最後はあっけなくこの世から姿を消した。老いた両親を置いて先に出かけた。両親は辛さと同時に安堵感を覚えたという。「我々が最後を見取り、息子も安心できたのでは・・・難しいことを考えずにやっとゆっくりとできる・・・」と安らかなKさんの顔でホッとしたと言われた。
 可愛かった子どもであることが葬儀を迎えるにあたり、今更ながら感じ取れた。でも親の中では永久に子供の域を出ることはなく可愛い息子のままであった。
 Kさんの存在はいつも周囲を明るくし、知識旺盛で講釈したり屁理屈をいい、良きディベイト仲間として馴染み、お馴染みさんの一人であった。大切な何かを失った感じが続いている。(続く)
(G記)