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統合失調症のKさんのこと (2)

 天国(間違いなく)に召されたKさんにとって初めてのお盆をむかえることになる・・・・。ご両親は心中穏やかでなく盆の段取りに奔走していることと思います。90歳を過ぎた父親は息子を思うがゆえに「長生きできた」と言う・・・「この子を残して・・・」よく世間で耳にした言葉だ。親は息子のすべてを知りえて心配をしているともいうが“子どもの気持ち知らずして”とも言われるかのごとく、Kさんなりに親の気持ちを想い励んでいたと感じる。ご自身が精神疾患だということは否定しながらも、まじめに40年ほど通院をしたKさんだ。診察を終え、「お邪魔します」と言いながら部屋に来て語ったことは「結婚したかった」と言う。「許婚がいたが・・・・病気になってしまい彼女は誰かのところに・・・親が許してもくれなかったけど・・・妹の伴侶は出来たやつだが、何だかいまだにバリヤーを感じて水臭く、打ち解けられん。妹にも俺の友人で肌質の良いやつを見つけていたが・・・上手く行かないものだ!」と一人語りをすることもあった。言いながらGが“今はどちらに・・・お子さんはおいくつに・・・”と話しを返すと「何をいよんな!妹は独身で!」と怒りあらわにしながら攻撃をしてきた。大好きな妹の話になると、現実を受け入れられないのか話を遮ろうと違う話題を出してきた。このようなKさんの日常はプラスチック工場で働き、お給料(保険加入)をいただいていたが、人付き合いが上手くなく、ミスするたびに「何度言ったらわかるんだ・・明日から来なくてよい!」と班長にいやみを言われたと嘆気に来ることもしばしばであった。こうして何十年も愚痴をこぼしながら、晩年には人を持ち上げるという業も身につけ働き続けた。<凄い>の一言だ!時には馬鹿にされていることを感じ泣く事もあったが、退室前は笑顔をつくり「ありがとで、また来ます」と手を振って帰っていった。このようなKさんにも友人がいた。友人は通院者であり、Kは兄貴分として振舞っていたようだ。月に一度温泉につかり、ジュースを飲み、讃岐うどん、おでんなどを食べ(いわゆる庶民としての食物)、参加できなかった者の心配、時には集うもののしんどい話を聞き、一日を過ごすというものだ。Kを含めて3〜4人構成で、かかる経費はK持ちであった。Kの良いところは人を大切にすることだ。人をポジテイブに捕らえていける能力を持ち合わせていた。このような生活がかなりの期間継続した。時には人が交代(再入院をし不在となる)しながら・・・生きるためのポリシーだと言わんばかりであった。スタッフの大勢は「出来るK」に安心さえしていたと感じる。だから本心を言い始めると驚き、変に慰めるので悪循環が生じ始めたのだ。(続く)
(G記)