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我が恩師が2004年8月2日に他界された。5月連休が終わったあとで、先輩と共に師を見舞った。<ガンの末期>と死らされた我々の方が言葉を失った。何かゆっくりと寝ていなくてはと思いつつ、何かおちつかず、室内を歩く先生のお姿を拝見した。
その時、師の口から
「こんな時、なんて言葉がけする・・職場ではいろいろおありでしょう?」
と問いかけられた。正直、とまどった・・つづいて師が
「論文が書きたいのに書けない・・困っている」と発せられた。
とっさに、
「先生はこれまで充分にお書きでしょう・・貯えがおありですよ。」
と返していた自分があった。そこから話をスリかえていた。
昼食を(奥様の手づくりの料理)共にいただいた・・。
「今日はよく食がすすんでいます。お2人がおいでて下さったから、・・おいしいのでしょうね。」と微笑えまれながら奥様がおっしゃられた言葉に救われた。
その時の春野菜・・フト味をおもい出すこの頃です。
その師の本が「コレクション」と題されて5巻シリーズとしてつい先日、相川書房より出版されました。
さっそく買い求めました。その5巻目の『エッセイ 人間へのまなざし』をいっきに読みすすめました。大学生時代がよみがえりました。すばらしい師と出会ったこと感謝の一念です。もっと先生と話したかった。今だからこそおたずね出来る勇気ももてるよ〜になったのに・・と悔しいおもいが湧いてきます。 その中で何度も出てくるフレーズがあります。 「生活史においては、現在が過去から分離し、過去にある意味を与え、過去を了解可能ならしめる。〜 過去が過去としてあるのではあるまい。過去はつねに現在の私によって塗りかえられるのであろう。過去は<今の私の解釈>であると思える・・」 |
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(G記)