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 (T.T)

 寂しい人

クズモ

  私の初恋は小学6年でした。片思いでした。相手は母親に似て、隣の席から世話焼きしてくる子でした。そして、幸せそうではありませんでした。その後の私と同じく、姓が変わったりして。卒業式の日、彼女が学友に回したノートに私は「孤独」とただひとこと書きました。(相手の不幸なところに惚れる。)
 1996年にアダルトチルドレンという概念を知ってから9年目、2004年の今、私はこう考えています。
 私の中には、親から愛されなかったという寂しさがあります。心の中にポッカリ抜け落ちた部分がある、といったイメージでしょうか。(ある本には、ドーナツみたいだって表現してましたね。)私はこの寂しさのためにいろいろな事をしました。親の注意を得ようとひきこもったり。

 私の中には、親から愛されなかったという寂しさがあります。心の中にポッカリ抜け落ちた部分がある、といったイメージでしょうか。(ある本には、ドーナツみたいだって表現してましたね。)私はこの寂しさのためにいろいろな事をしました。親の注意を得ようとひきこもったり。
 私は回復したらこの、親から愛されなかった寂しさがなくなるのだと考えていました。しかし最近、私は、この寂しさで空いた空洞は、ずっと埋めることができないのではないかと思っています。親(母親)に傷ついた経験を話しても、親は、そんなこと憶えてない、と言いました。そして、過去と同じ関係をまた私と続けようとします。
 どうやら私は、親から愛されなかった寂しさを、一生抱えてゆくしかないようです。(このことを親に言ってみましょうか?)
 その後の人間関係で何度か共依存的な関係を経験しました。相手との距離がうまく取れない関係でした。

☆共依存関係にならないように、親以外の人間との関係で、その寂しさを埋めようとしても、違うジグソーパズルのピースのように、埋めることができないのです。(治療的な関係を除く。)その人は親とは違う人間なのですから、たとえ親にしてもらえなかったことをしてもらって一時的に欲求を満たしても、時間が経つと、自分が求めるものとは違うところが見えてくるのです。さりとて、今更親は愛してくれません。・・・この先は只今経過中です。
 私の考えでは、自助グループで出会った新しい人間関係「魂の家族」は、親から愛されなかった空洞をそのまま埋めてくれるものではないみたいです。親との空洞とは別のところ、これまでの人生で使ったことのない新しい場所に、「ちょっと輝く鉱脈の山」を発見して、もうそんな空洞のことを考えるのがアホらしくなる、そんな暇ない、優先順位が下位になる・・・というところでしょうか。もっとも、その「ちょっと輝く鉱脈の山」が、その空洞と繋がっている(関連がある)としてもね。なぜなら、皮肉にも自分が心に空洞を持った人間であるがゆえに「魂の家族」に出会うことができたのですから。
 同時に自分の問題も見えてきました。今まで自分でなかなか見ることができなかった、親(母親)に依存し続けている自分の姿が。自分の醜さに・・・。
<近況>私は内臓脂肪型で隠れ肥満。(まだおなかが出てます。)4月に、通っているヨーガの先生に誘われて参加した、断食のワーク以後、食生活を変えました。主食を白米から、豆に。あとは生野菜と玄米とミネラルウォーター。肉、脂肪、炭水化物はできるだけ摂りません。4月に70キロだったのが現在66・5キロです。疲れ方が変わってきました。さていつまで続くか。