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(o.s)

「いかにして超感覚的世界の金魚を育てるか」 

今月のコア通信の余興の穴埋めに、
金魚の、その後の物語を書くように言われました。
しかし、飼っていた金魚は昨年の夏、死んでしまいました。
金魚の霊界物語を書こうにも私にはその能力がありません。

犯罪者の気分で、いそいそと死体は窓の外に埋めました。
野良猫が掘り返していなければ、まだそこに骨が埋まっていると思います。
 


 
私は、時たま秋刀魚を買ってきて食べます。その頭と骨を窓から私は投げ捨てます。そんな自然塵が目立たないように、窓の外は雑草がたんまりと育っています。
親戚のお婆さんがやってきてその美しい雑草を引っこ抜いていったことがあります。
お婆さんはまたある日、得体の知れない爺さんを引き連れてやって来て、家の庭のいたる所に生えている琵琶の苗木を引っこ抜いていきました。ついでに牡丹の木も根こそぎ切り倒してゆきました。たぶん老眼のせいでしょう。私も歳のせいで老眼になりました。本を読もうとするときは両手をめいっぱい伸ばさないといけません。

かつて、蟹が、私の部屋の床を歩いていました。
隣の部屋の中は、様々な物で山森になっています。その中を探検すると、「いかにして超感覚的世界を認識するか」というハウツー本が埋まっているのです。その本を読んで修行をすると、金魚の死後の世界について、いかさまな論文が書けるようになるのです。
蟹はそのガラクタ山盛の樹海の中を探検していました。
ある日、蟹が玄関で死んでいたのを見たときに、少年時代に読んだ物語の、塞がれた洞窟で死んでいた悪者のことを連想し、以後私は、蟹が侵入しないように、玄関の戸を丁寧に閉めるようになりました。昔、母は、何故か知りませんが口を酸っぱくして「きちんと閉めなさい」と私に言っていたけれど、いっこうに効果がなかったのです。
 

最近、私は、蚊に襲われていません。蛍光灯の紐が斜めになっています。
くもの巣があります。蜘蛛が蛍光灯の境内で商売をしています。
多くの人は蜘蛛の巣を見ると彼等の商売を妨害します。
蜘蛛が可愛い虫達をいじめて卑劣な悪行を重ねているのを妨害するのです。

 

かつてキリストが寺院から商売人を追い払ったように、私は何故、蜘蛛を追い払わないのだろうかと考察します。私が怠け者であること。外界の掃除をする代わりに、私の内界の美的感覚の工作をします。「蜘蛛の巣は何と幾何学的で美しい形を構成しているのであろう」とか、「あの繊細で美しい網物を、時給800円ぐらいで誰か雇って作ってもらうとすると大変な価値がある」などと言って自己洗脳工作をします。
動かないで頭の中を調整するだけだと消費カロリーは少なくてすみます。おかげで近ごろ私の体が、どんどんどんどん太ってきています。
「ものごとの肯定的側面を探し求める。」これが、あのどこかに埋もれている本に書いてある修行の一つです。心理学では認知療法というらしいです。
働き者のお婆さんが、私の大切にしている雑草を引き抜いて禿げ頭のような風景にしたときに、私が怒ったり悲しんだりしないのは、常日頃からそのような修行を積んでいるからなのです。
しかし私も少し修行が足りなかったので、お婆さんの御子息が運営しているインターネットの掲示板に、その事の苦情を書き込みました。するとどうでしょう。その、他力信仰の僧侶である御子息は、お婆さんや御家族と戦争を始めました。除草剤を使うのは怪しからんとか、そのせいで猫が病気になって死んだとか。出家して出て行け! とか・・・。

その僧侶の方は最近車が無くて困っているのです。同居している御家族は5台も車を所有しているのに意地悪で貸してくれないのだそうです。それで私の車を貸して欲しいと言うのです。私が貸した車を使いたいときは、自転車で使いに行けば善い。数Kmあるので私の運動不足で太った体は改善される。と、素晴らしい提案でした。しかしながら、修行の足りないケチな私は、ものごとの肯定的側面を、他人に指摘されるのは不愉快だったので、策略を駆使してお断りしたのです。