[ index ] |
夏にふさわしく? |
八月はお盆の月です。帰省のための渋滞などで子孫が苦しい思いをするのを先祖達は望んでいるのでしょうか?
故人のことを私達が思い出す時、いつでも故人の魂はすぐに引き寄せられてやってくるそうです。(たとえあなたを傷つけた人であったとしても、魂では、もうあなたを傷つけることはありません。)
数年前、父方の叔父と、亡くなった叔母の仏前で思い出話をしていると、風もないのにロウソクの炎が大きく揺れました。それを見て叔父は「叔母が笑ってるんだよ。」と言いました。
その叔父も三年前に行方知れずになりました。今年三月、顔も知らないある人から、「あなたの死んだ叔父さんは、あなたの味方です。」というメッセージをいただきました。
五月頃、栗林公園以南に行くときいつもあるお寺のお墓の中を通るのですが、歩きながら、無縁仏の墓を集めた高みに座るお地蔵さんの、オレンジ色のよだれかけ、が、水平に静止しているのが視界に入っているのを認め、えっ?と思ってもう一度後ろを振り返って見直すと、よだれかけは元に戻っていました。
六月、町なかで托鉢をしている僧にこのことを話すと、「それはね、あなたのことをいつも見ているよ、ということを伝えているんですよ。」と答えが帰ってきました。
七月、叔父の面倒を見ていた知人に、私が「行方不明のままだけれど、いつか墓を作ってあげたい。」と言ったら、その叔父の知人が、叔父の死体が見つかっていたことを打ち明けてくれました。
六十代なかば、生活保護を受けていた叔父は、ある後家さんの女性のところに住まわせてもらおうと考えていたそうです。しかし女性の家族の反対にあって・・・。女性は姿をくらまし、叔父の姿が消えて二か月後、その知人がある無人の民家の前に叔父の自転車が置いてあるのを見つけ・・・。「餓死は苦しかっただろうに。」知人の言葉です。叔父らしい最期だと思いました。
妻の障害者年金を当てにして仕事をせず、時に妻に暴力を振るったとも聞き軽蔑の念をいだいた私ですが、意識を拡大して考えてみると、叔父は、ある意味では、自分の目に見えない価値を死ぬまで貫いた人だったのかもしれません。
八月に入った昨日、例のお寺を通り抜けようとした時、風が吹いてきました。すぐに地蔵に視線を向けると、よだれかけが、いかにも風に舞うようにヒラヒラとなびきました。私は笑い出してしまいました。
まあ、信じるなら、そうでしょ、の世界です。
PS.エフコさん、七月の会には、息子さんの自転車を修理するための部品と工具をどっちゃり持っていったのですが、入院されたと聞き、残念でした。御自身、お家、自転車そろってリフレッシュされる時が来ることを祈っています。
K。