体験記 (85)
母と家内とのトラブルから逃れて32歳で神奈川工場へ転勤して父を死なせ、定年後、嫌がる母を施設へ入れて、これまた不慮の事故で死なせてしまって私は息子として失格であったと思う。この背景には私の人との感情的トラブルが恐くて、それから逃げるばかりという、神経症で苦しんだ人生が大きく影響していると思う。
こういう性格になった背景には母の遺伝と幼少時において敵味方に分かれている様な家庭で三日にあげずのケンカケンカの中で育ってきた為、誰が自分に好意を持っているか敵意を持っているかに非常に敏感な少年になり、他人のちょっとした言動の変化を自分への嫌悪の表現と受け取り絶えず人の顔色を見るクセが身についた為と、神経質性格特有の自分中心で負けず嫌いで短気な上、母からは甘やかされて私の望むことはすべて聞いてくれ、どんなことをしても叱られて責められることはなく許してくれた養育環境にあったろうと思う。
母は特に子煩悩で躾もなにもなく猫かわいがりであった為、我がまま一杯に育ったので、自分の思う通りにならないと気がすまないという人間になったと思っている。
母もまた娘時代には兄弟の中で女は一人だった為、甘やかされて育っていたらしく、神経質で自分中心であり、日常生活において何かにつけてネガティブに考える傾向があり、それに感化または洗脳されていったと思う。私の性格は100% 母そっくりであり、母の実家もそういう傾向のある性格であった。森田で人間の性格は遺伝と環境と行動によって作られると教わった。私が人から嫌われる、いじめられ排斥されるという考えが頭の芯まで染み込んでしまったのも、母の遺伝の上に幼少時の家庭の中で敵味方に分かれている環境に育った為に、そういう考えが身についてしまったのではないかと思う。神戸の岡さんからは、自分の神経症を幼少時の家庭の中の不和やお母さんの特殊な遺伝に押し付けて自分で改善していく努力を怠ってきた為に長年苦しんだのだと教えられたが、当時は自分は悪いことをしていない。人付き合いも仕事も真面目にやってきたのに、どうしても、人から親しまれない、冷たくされたり悪口を言われる、そういうことばかり気にして悩んでいた。
今思うに、このようなあつれきは、すべての人が大なり小なり体験していることであり、私だけ特別人から嫌われているのでもなかったのであるが、私が自分でその様に思い込んでいる為に、日常の言動がリラックスして人に接しない為、却って人からは付き合いにくい人と敬遠されていたようである。森田療法の第一人者の高良先生の著書「生きる知恵」の中に鶏の話が出ていた。甲のメンドリがヒナを抱いている。そこへ乙のメンドリのヒナを入れやる。すると甲のメンドリはあるヒナに対しては何のこともなく自分のヒナとして受け入れるが、あるヒナに対してはつっついて排斥する。どういう理由で差別するのだろうか、そこで乙のヒナに赤インクを塗って実験してみると、やはりあるハヒナは受け入れ、あるヒナを排斥するので、色彩の違いには意味がない。今度はアヒルのヒナをやってみると結果はやはり前の場合と同様で、形によって差別することもないのだ。いろいろ試して分かったことはメンドリが受け入れるか排斥するかは、ひとえにそのヒナの態度いかんにあるということである。そのヒナが警戒してためらったり逃げ腰になったりするとメンドリはたちまちつっついて排斥するが、そのヒナが何のためらいもなくメンドリ近寄ってゆくと、そのままメンドリは親になってしまうのである。
色が違っても形が変わっていてもそんなことは問題にならない。人間の世界にもこれはある程度通用することではないか。自分は継子だと常に意識している子供は継母に好かれないだろう。相手が自分を嫌っていると思い込んでいる人は、その人から好感を持たれにくいし、いつもだまされはしないかと用心ばかりしている人は、人から親しまれない。症状が治って、世の中の人が急に自分に好意を持つようになり、親切になったと告白した人がある。これはとらわれが無くなって人の好意や親切をすなおに受け取るようになったのと共に、過度の警戒心から解放されて自然に人は交わるようになり、従って人にも好意を持たれるようになったからである。と書かれていた。私の症状は人に対する私の態度にあるという意味であろうが、頑なな私は一向に態度を変えず、人から嫌われると警戒してきたから、この年まで苦しんだのだろうと思う。
執筆 :(T.Y)