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体験記 (83)

 仕事が終われば母のいる番屋へ様子を見に行ってしばらく母と過ごしていたが、行く度に刺し身とかステーキを用意して食べさせてくれた。
 親からすれば、いくつになっても子供は子供ではあるが、還暦を迎えようという人間に、ここまでするのは過保護も度がすぎていたと思う。
 母の度をすぎた愛情が、私をいつまでも自立した一人前の人間になれなかった所以であったと思う。
 私も母の言う通りにして、困った事があると母に助けを求めており、正に幼児の心のまま大人になったようであり長年神経症に苦しんだ下地があったのではと今になり思うのである。子供の時から甘やかされてどんな事をしても、どんな失敗をしても許してくれて叱られた思い出があまりなかったので、自分の思い通りにならないと気がすまないという我が儘な人間になったと思っている。困ったこと嫌なことは逃げて、すぐ人を頼って、自分で解決しようとしない生活であった。
 森田で神経質の幼児性を言われる所以である。全くその通りであったが、若い頃は森田の教えが全く理解できなかった。森田は神経質はいい性格ですよと教えるが、これを聞いた時は自分の性格はいい性格なんだと思っていた。森田を理解してない所からおこる誤解であった。
 人間だからすべての人に一長一短があり、長所も裏を返せば短所になる。一日に夜と昼があり、遠心力には求心力があるという風にプラスとマイナスは表裏一体になっている。これを両面観と言う。どちらを見るかであって森田は神経質性格のプラス面を見ていけと教えたのであった。
 それでも幼い頃からのクセは変わりようがなく、マイナス面ばかり表に出ていて、人から嫌われる、私がいない方が皆は楽しいのではないか? と思って他人の言動に一喜一憂する人生を、この年まで続けたのである。こういう心でいるから他人の何気ない言動も、自分を嫌悪しているからだと解釈してその人を憎んでいた。そして、自分に好ましい優しい言動であるとホッと安心するのである。森田で「神経質者は人に対して愛情うるわしくない、特に対人恐怖の人は冷たいのである。」と教えられた。「人が自分を嫌っている、私は好かれない、と思っている人は相手が悪いのではなくて自分が人に対してつれないのである」と言われた。
 反対に人の言動を感謝して褒める人はその人が善良な人であると言われた。頑なな私は、自分は悪くない相手を嫌っていない、仲良くしたいのに、相手が何故か知らないが私を邪険にする、そう考えて悩み、その人を憎んで、その人と会わなければいけなくなると、憂鬱に沈んでしまうのであった。神戸の岡さんから「お前は何かあったら全部相手が悪くなってしまうのだ」と言われたが、この事を言っていたのかも知れない。
 神経質者は自分の思うことと反対の結果になるという。つまり不潔恐怖は不潔になり、対人恐怖は恥知らずになると言われたが、悩みの最中にあった私は、汚れたと思ったらしっかり洗っているから、不潔になるはずがない。唯、普通の人は洗わないだろうと思うことも洗うので、それがしんどいのだが不潔にはなっていないと考えていた。人に対しても自分は皆と仲良くしたい、従って挨拶、声かけ等気を使いながらも行動しているのに相手の態度言葉が不愛想な時、これは私が気に入らんからだと考えるのであった。(こう考える事が間違っているかも知れないが)したがって森田先生の言う(対人恐怖の人は人に対してつれない)と言う言葉が理解できなかった。
 今思うに母は私にはめちゃめちゃ甘いのだが、他人とは対立的になりよくトラブルをおこしていた。私の症状も母と全く同様であり、私の幼少時に、敵味方に分かれているような家庭であり、母が「私と恒雄と康子(妹)を追い出しにかかっている」と言ってケンカになっていたのが頭に染み込んでおりそういう体験が長じて、人が自分を嫌悪している自分の存在を不快に思っているという考えが固定してしまったように思うのである。
 そう思うとその人と物言うのも嫌になり顔をあわせても無視してしまうのである。こういう態度が(人に対してつれない)のかも知れなかったが、こういう態度は治らなかった。先生から「心はどうあってもいいから態度だけはあたり前にやっていく」と教えられたが、それを実践しなかった為にいろんな人とのあつれきがたえなかった。

執筆 :(T.Y)