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体験記 (81)

 相手が欲しがっていると見れば、べらぼうに値をつり上げる悪徳業者もいるが、反対に売る側になった時も同様の体験をした。
 これも高松の小鳥屋さんで、鳥エサ道具等を買っていた。という、手のひらに入ってしまう程の小さい鳩を買った。小さくても鳩なので鳩の特徴を全部そなえている。エサは丸飲みで、卵は2個ずつ産み必ず雄と雌に分かれており、鳩に三枝の礼儀ありと言われるように子供は親より上の枝には絶対に止まらない。必ず親から2つ3つ下の枝に止まって休んでいる。親を敬う律儀な鳥である。この鳩も子育てが上手であり次々と増えていく。その話をすると「持ってきて下さい、買ってあげます」と言うので持って行った。「一羽2,500円です」と言われて、15,000円現金でくれた。売値は1羽8,000円だったが、先方は商売だし私は趣味なのでそこまでは言わない。これだけあればエサとか道具が買えるなと思った。増えたらいつでも持ってこいと言うので次々持って行った。2回目は一羽2,000円、3回目は1,500円と500円ずつ下がってついに1羽500円になった。売値はそのまま8,000円である。持って行ってまでやってこれじゃ、ぼろ儲けじゃないか。いくら趣味だといっても、ちょっとひどすぎると考えて、私は鳥を持って行く気がしなくなり、その店との取引も止めてしまった。商売人が損するようなことするかと言った父の言葉は、正しかったと思うようになった。
 父は、テレビの広告で 「5,000円の品物だが今なら4,000円にします」と言うのは「(元々4,000円の品だが、1,000円上乗せして) 5,000円の品です。今なら1,000円安くします。」と言う、買う方は1,000円安く買えたと思わせるテクニックなんだと教えられた。また、「(今ならこれをプレゼントします)と言っても、それも値段の中に入っているのだぞ」と教えてくれた。
 父も行商をしていたから、そういうことをしていたのかも知れない。それを聞いて育っているから広告は文面通りには受け取れなくなっている。最近の広告は芸能人を使っているが、芸能人はプロだから、ギャラさえ払えばどんな美辞麗句でも並べてくれる。そう考えるのは私のヒガミだろうか? 何れにしても対人恐怖の人はヒネクレているので悪い方へ解釈するのは得意である。 父は自分の体験から世の真実を教えてくれたのだろうが、結果として私は裏を考えるようになり素直さがなくなったように思う。
 一方横須賀から帰ってしばらくは母もおだやかにしていたが、やはり人と対立し易い性格の悪い面が出てきて、少しずつ文句を言うようになった。横須賀から帰る時、岡さんから、「初めは今までの寂しさもあったので家族が帰ってきて嬉しいから何も言わんが、日が経つ内に一口言い二口言いしてまた元の状態になるぞ」と言われたが、正にその通りになっていった。喉元すぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、日がたつにつれて母の文句はエスカレートしていった。母の物事に拘泥する性格の上に、女同士の縄張り意識もあったろうと思う。
 結局H4年にまた家を出て中山に居をかまえて今に至るのである。
 番屋を出て中山へ家族を連れてきたものの番屋に一人で暮らすようになった母が心配であった。休みの日に或いは仕事帰りに番屋へ行って母の様子を見に行くのが多くなった。母に電話して、出てくれない時は倒れているのじゃないだろうか? そう思って慌てて行くと外で草取り等をやっていて元気なのを見て毎回ホッとするのであった。
 こういう風に考えるのが、神経症の取り越し苦労なのだが、毎回同じように考えて、不安になるのであった。
 こういう傾向は何に対しても発生して苦しんだ。特に神経症の症状に対しては、この取り越し苦労の連続であったろうが、今だに残っている。(対人恐怖、不潔恐怖等)休みの日には「番屋へ行ってくるわ」と言って出て行く私を、家内はどう思っていただろうか? 家内は何も言わなかったが(いい年して親べったりだ)と不満であったろうとは思うが。過保護に育った為、いわゆるマザコン男になってしまったのである。
 当時40歳を過ぎていたが、困った事があるとすぐ母をたよっていた。今思い出すとまことに恥ずかしい限りである。

執筆 :(T.Y)