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体験記 (79)

 こういう性格の人間になった要因は、遺伝と環境と行動によって形作られると教えられた。
 私の考え方行動は100%母とそっくりであり、母の影響を完全に受け継いできた人生でした。子供の時から母にたより症状で苦しい時はすぐ母に助けを求めて、母もすぐ動いてくれた。その為に母の間違った考えを正当化してしまっていたのである。こういうのを過保護というのであろうか?(甘やかされて我がまま一杯に育った子供は、家庭内では暴君的にふるまうが、長じて家庭外の社会に接すると、この我がままが通らず強いて通そうとすると、たちまち周囲と衝突するので、ここに自信が失われて神経症状をひきおこすのである。)
 また、 ( 甘やかしすぎる教育をした親に責任があるとしても、青年期をすぎた者が、親の教育のしかたを批判しても自分自身の成長には何の役にもたたない。今となってはどうする事もできないもののせいにするのは責任転嫁であり自分を改善する機縁を断っているのである。責任転嫁は自分を弱くするだけである。成人してからは自分の事は自分で責任を負わなければ進歩はありません。) と森田で教わった。理屈は分かったつもりだが、現実の生活の中では、そんな知識は完全に頭から離れてしまい、自分の感情のままに行動していた。その他感情の法則、欲望と不安、あるがままと純な心、神経質の性格特徴、神経症の成り立ち等々、森田療法の理論を学習したが、学んでいる時には、なる程な、そういう事かと思うが、日常の生活になると実践ができなく、態度言葉に出て、人間関係に溝ができてしまうのであった。そうなると私はその人間と物言わなくなり対立してしまい、日がたつとますます言い辛くなり後はもう意地になってしまい、本心とは逆の結果になっていく人生であった。
 その背景には、相手の言動が筋が通らんと思えばそれを許すことができない度量の狭さがあった。
 また人間には他人の幸福を妬み、不幸を喜ぶというよくない傾向があるのも事実である。森田でもそれを認めている。(嫉妬心と悪口)というテーマで。人間がすべて利己的な優越欲を持っているからである。そしてそれが自分の同輩や競争相手に対しておこりやすい。
 だから人は他人が失敗すると気の毒だと言いながら、内心ほくそえんでいたり、愉快そうに笑いながら、だれそれは、とうとう亡くなったなどとしゃべったりしていると言われた。若い時、次のような思い出がある。
 三ツ星で仲良くしていた同僚が海で心臓麻痺で死んでしまった。翌日会社で「今頃三途の川をわたっじょるわ」と笑いながらしゃべっているのを聞いた。
 その時は、私も死んだらこんなに言われるのだろうかと恐ろしくなった。もう一件は、近所の子供が行方不明になって部落中が捜索に出た。皆世話話をしながら道を歩いている。歩くだけで捜している風には見えなかった。その内一人の人が、「おい何処まで行くんだ、行ったら行っただけ戻らないかんのやぞ」と言うのを聞いて恐ろしくなった。自分の子供ならこんなことは言わないだろう。たとえ地の果てまでも捜して行くだろうに。
 他人の子供だからこう言えるのであり、捜索に出たのも近所だから、形式的に顔出ししただけである。
 これが身内と他人の違いであり、これが現実である。
 対岸の火事とケンカは大きい程面白いというのも同様の心理と思う。テレビで上沼恵美子が「人の不幸は蜜の味」と言うのを聞いたが、単なる冗談ではなく言い得ていると思う。いい悪いは別として、これらは、どうすることもできない人間心理であると思う。
 もちろん私にもそういう心理はあるでしょう。自分に関係ない事には痛痒を感じないのが当然であろうが、会社の同僚の死及び、子供の行方不明のような時の言葉は思いやりのない失礼な発言ではなかろうか? これだから他人は恐ろしいのである。


執筆 :(T.Y)