体験記 (77)
対人恐怖(人が自分をどう見ているか? 嫌われているか好かれているか?) に長年悩んできて人間関係のあつれきから逃れて神奈川へ転勤して行き不潔恐怖というお土産をもらって帰ってきたのであった。
病院へ行っても薬くれるだけ、薬は不安やイライラの気持ちを落ち着かせるだけで(安定剤)治療には何の役に立たず、しかも必ず副作用があるのは、もう分かっているので飲みたくなかった。
それでも気が狂いそうな程苦しい時には、その苦しみに負けて薬にすがった時もあったが、副作用が出ただけで苦しみはなくならなかった。
やっぱり発見会に行きたいと思ったが、高松集談会には、10年程前に会社の休みが取れなくて(当時は木曜日の開催だった)一日休んだ所、翌月「来なかった」と言って怒鳴りつけられた嫌な思い出がある。あの男がまだいるだろう。10年たった今行けば(今さら何しにきたんや)と文句言われるんじゃないか? そう思って躊躇していた。いろいろ迷ったが一応行ってみようか? もしあの男がいたらそして何か言われたら即帰ってこよう。そして二度と集談会へは行くまい。
そう心に決めて思い切って会場まで出かけて行った。部屋の前まで行ったが、ドアがなかなか開けられない。ドアの前で入ろうか? 止めようか? としばらくウロウロしていたが、ここまできたんだからと思い切ってドアを開けて恐る恐る中へ行った。
中へ入ってあの男がいるかどうかを、サーッと皆の顔を見て回った。幸いにいなかったのでホッとして席に着いた。しかし対人恐怖の私はこれで安心はしないのである。今日はたまたま休んだのかも知れない。来月はくるかも知れないな。そういう風に考えるのであった。翌月も集談会へ行ったが、あの男(池上さん)は来なかった。毎月毎月行ってもずっと見えないので、もしかすると辞めたのだろうか? と思ったが、人に聞く勇気もなく、この事には触れないまま安心して毎月出席していつか彼に対する心配は消えて行った。
横須賀で小学校へ入学した子供は転校生として丹生小学校へ行くようになった。こちらは集団登下校であった。時々息子のグループに道で会う時があるが、いじめられていたらしく、いつ会ってもワーワー泣いていた。転校生ということでいじめられたのか息子の性格の故か不明だった。私も小中学生通していじめに会い、親が出てきたことで「言い付けた」と言ってますますひどくなった思い出があるので口出しはしなかった。 学校から帰っても、子供なら外で遊びまわるであろう年代なのに、いつも部屋の中で寝ているのを見て家内から「横須賀ではこんなことなかったのに、何かあったらあんたのせいだよ」と言われた。
息子は片道1時間も歩いての通学に、その上毎回いじめられての登下校に疲れ果てていたのかも知れない。
加えて転校生として慣れない学校でのストレスも重なっていたのかも知れないが、私は家内や子供の苦しみを思いやる心の余裕はなかった。
人が自分をどう思っているか、嫌われているか否かをいつも気にして特に人との感情的トラブルには非常に弱いという対人恐怖の為に人の中に入っていくのが苦痛であった。その上、神奈川工場で不潔恐怖になり苦しみが倍加したのであった。
神経質者は自己中心で自分のことしか考えていないと言われるが、当時の私は正にその通りで、自分の苦しみから逃げることしか考えてなく、家族の苦しみを思いやることができなかった。今、この年(69歳)になっても、まだこの傾向は残っている。でき上がった感情のクセはなかなか変わらないものである。
執筆 :(T.Y)