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体験記 (76)

 三光病院への入院の時、先生が「ここにも森田的なものはあるんだぞ」と言われたが、薬飲まされただけで森田的指導は全くなかった。横須賀でも薬くれただけで向こうの先生は「神経症は薬で治すんですよ」と言われた。その為 幽霊が立っているようにボーッとなってしまい三光病院では、唇がカサカサになって先生は「そうなったらしめたものだ」と言われた。不潔恐怖は悪化していったが よくはならなかった。退院して会社へ行くようになったが、神奈川工場のように溶剤の心配はなくなった。しかし今度はトイレへ行くのが苦痛になった。便器にズボンが触れたように思うと、もうズボンを持って帰って洗ってしまうのである。
 男は用足し後 手を洗わない人が多く、そんな手でさわられると もう その部分が気持ち悪くて仕方がない。会社ではどうしようもないので、そのままがまんして仕事をするが帰りには仕事着を持って帰って洗うのである。
 他の人は一週間 同じ服を着て週末に持って帰って洗うのが普通だが、私は毎日持って帰って家内を苦しめた。道を歩けば痰を吐いていたり、犬の糞がある。そこを通って後でそれに気が付くと もうズボンを洗ってしまう。車で走っていてバキュームカーと擦れ違うと、もう車を洗ってしまう。しかも自分で洗えない。自分で洗うとホースでかけた水が跳ね返ってズボン等にかかると汚物も一緒にかかるように思えてくるので洗濯機にかけるのである。バキュームカーが汚物を撒きながら走るような事は絶対にないはず。もしそんな事があれば社会問題になるでしょう。それでも洗わずにはおれないのである。会社では安全靴を履いて仕事をしていたが、石ころとか尖った物等を踏んだと思うとその靴でトイレへ行けない。靴の裏に傷がついてトイレでこぼれている尿をふんだりすると毛細管現象で尿が中へ入ってきて足につくように思えてくるともうその靴が履けない。
 結局その靴を捨てて新しい靴を買うのである。買ってもその日にまた堅い物を踏むと同じようにもう履けない。一日だけ履いた新しい靴を捨ててしまって また買いに行く。同じ店へ何回も買いに行くと怪しまれるので、次々と違う店を探して高松へ、遠くは空港の方まで探して行って買っていた。 一足5,000円強の靴を捨てては買い 捨てては買いして何万もの金を無駄にしてしまったのである。
 ここまでくれば正に狂気であろう。しかし当時の私はそんな気違い沙汰のような事を真剣にやっていたのである。服を洗って 車を洗って 靴を新しいのを買って その時は気がスーッとするのだが、また洗いたくなり それはそれは際限なく繰り返されるのであった。
 強迫行為を伴う強迫観念はなかなか治らないと森田で教わった。会社でヘルメットをかぶっていたが、うつむいた時、現場でヘルメットを脱いでいて誰かにさわられたりすると、もうそのヘルメットを持って帰って洗ってしまう。帽子と違うので洗濯機にかけられないので、湯を使って手で洗うのだが、洗えば洗う程、もう一回、もう一回と、洗う時間洗う回数が増えていく。何回も何回も長い時間かけて洗い、やっと気がすんで終わった時には疲れ果ててグッタリとなるのであった。
 強迫観念は生き地獄です。人間煩悩の雛形であると言われたが正にその通りと思う。

執筆 :(T.Y)