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(T.T)

講演会に出席して(第二回アルコール問題を考えるつどい)

 後藤先生の講演に行ってきました。一言で言えば後藤先生にしかできない講演でした。讃辞となりましたでしょうか。普通の人であれば逃げ出したかもしれないアルコール問題に、キューリー夫人が放射線にひかれるがごとく魅せられた原体験、子どもたちや当事者達の心情がプライベートを侵害せずに讃岐弁でいきいきと語られていました。
 6月のミーティングから。依存症の親達の有様を見たり、自分がACだと認識した人間は、異性の相手選択に慎重にならざるをえません。テレビに、こんな筈でなかったという妻が出ていました。責める声「そういう旦那を選んだあなた自身の責任なのだよ。」 弁護する声「男は結婚する前は誰でもやさしいのよ。わかるわけない。」妹尾河童という人は毎年 妻との婚姻関係を続けてよいか、更新する機会を作っているそうです。そのような見上げた人はともかく、私は結婚制度にも、三年ぐらいの仮免許期間があればよいのでは?と思ったりします。私自身はと言えば、こういった問題をずっと回避してきて、いまだ回復途中の私はAAでは恋愛が禁止されているのをよいことに、もうしばらく免除、という気分なのですが、「妻(と息子)に暴力を振るった男」の息子であることからは逃げられません。将来、時限爆弾が爆発するのではないかという恐怖があります。しかも怒りを抑圧していて普段はおとなしい人が危ないと聞いては、怒りを自助グループに愚痴としてたれ流すだけでは不足ではないかと思ってしまいます。やはり親に、この気持ちを返さなければ。しかし今はそれができないから、私を傷つけた親達の人形でも作ってみましょうか?(以下問題があって省略)

 さて、私のこの10年は、病の影響(ひきこもり)に翻弄されるがまま、ずいぶんと寄り道をしてしまいました。予定としましてはこの先の残りの人生に待っているのはリカバリーです。人とのつきあいかたのABCをやりなおして、おむかえが来るまでに、やっと普通の人なみになるのが間に合えばよいのですが。
 え?親のために結局残りの人生もリカバリーに費やすことになって空しくないかですって? 死ぬまで本当の人とのつきあいの楽しさなんか味わうことはないであろう親達に、このリカバリーの楽しさを奪われてなるもんですか、絶対に。こんな人間ですから6月のミーティングでは、ある人にちょっと悪いことをしてしまいました。ミーティングが終わって後始末をしようという時、完璧主義の私はヤカンを洗っていたあるメンバーの意志を尊重せずに「私がやりたいんです!」と取り上げたものの、今度は一人では時間がかかりすぎることに気づいて「誰か来て〜〜」と助けを呼ぶ始末。他のメンバーが駆け付けてそのメンバーはまたしても仲間はずれに。ごめんね、今度はそんなまずい対応はしませんから。
 と思っていたところ、ひきこもりの雑誌に投稿した私に手紙が来て、大阪のACの人と歩き遍路(一〜ニ区間)をすることになり、次回7月21日は欠席させていただくことになってしまいました。その日、台風が来たらコアに来ます。へんな奴。(笑)
 そして将来の夢は自営業の主ですが、とりあえずの第一歩は7月末、地元フリースクール主催のフリーマーケットの2メートル四方のブースの主です。商品のリサイクル自転車が間に合うかどうか。Oさんいつも投稿の活字化とひきこもりミーティングのメール化をありがとう。

クズモ
2001年 7月6日