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〜 幼い頃の羊の思ひ出 2 〜

執筆:  水仙月  

 「その羊に、もしも名前があれば何度でも呼んであげたかった…」。思い出すと 私は愛おしさで胸がいっぱいになりました。
 「羊さん、ありがとう! いつも楽しかったね!」…としみじみと心から伝えたくなりました。幼い日に母に連れられて、妹と一緒に買い物に通った長い道。歩く途中で出会った羊さん。 飼い主の女性に勧められ、餌を少しやるようになりました。
 
 羊さんはその後ずっと長生きして、私や妹の通 学風景も小屋の中からやさしく澄んだ目で、いつも見ていたのでした。
 そして「羊は、よく会う人の顔は何年でもずっと覚えている」という事を知ったのは、 ごく最近の事でした。本当に驚き、そしてとっても感動しました!
 
 その頃の羊さんのことを知りたくなって、母に電話して聞きました。当時は、あちこちの家で羊が飼われていたそうです。毎年春頃になると、業者さんが回って来ます。私達が餌をやっていた羊も業者さんが丸刈りにして、羊毛を買い取っていったということです。
 そして隣の地域に住む、やさしい少年の家も羊を一頭飼っていたそうです。少年は羊に綱をつけて散歩していたところ、逃げられてしまい近所の人にとり戻してもらったそうです。のどかで牧歌的で、何とも微笑ましい話で思わず笑顔になります!
 
 今年の元旦の新聞に 大変興味深い羊の話が掲載されました。非常に感動的です。香川県内で行われた、かつての羊の飼育に関する記事です。


 四国新聞より(2015年1月1日) 《 翔べ“未”来へ(テーマ)
 県内でも盛んだったヒツジ飼育(題名)
 旧仁尾町中心、50年代には4000頭超(副題)
 なだらかな山腹で草を食べるヒツジ。近くで優しく見守る飼い主。実はこれ、れっきとした香川県の風景。90年ほど前、羊毛用ヒツジの飼育が県内でも盛んだった。1950年代には4千頭を超え、県外に販売もしていた。中心となったのは旧三豊郡仁尾町だ。
 「仁尾町史」によると、当時はどの家にも当たり前のようにヒツジがいた。羊毛から糸を紡ぎ、衣類も自宅で編んだという。
 ヒツジを飼っていた旧仁尾町役場の元職員大西紘一さん(72)によると、各家庭にヒツジは2〜3頭ずついた。庭先には飼育小屋があり、広場の草やイモのつるを餌にしていたという。「ヒツジを連れて登下校する同級生もいた」と大西さん。途中で木にくくり付け、草を食べさせていたそうだ。
 飼育小屋がある家には、羊毛紡ぎ車と糸巻き機もあった。女性は帽子やセーターを編み、近所で技術を競いあっていたという。かつては子どもが生まれた家庭に毛糸を贈る風習があり、もらった毛糸で子どもの衣類を編んでいた。
 全盛期には仁尾町に羊毛産業の組合が誕生。町内のあちこちに毛糸専門店があった。仁尾の羊毛は「全国的に評判」(「仁尾町史」)だったようだ。 》


 香川県内に、羊毛産業の組合まであったとは驚きです。
 私の幼い頃の羊の思ひ出は、原風景であり懐かしい宝物です。

(2015年2月8日)