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体験記 (64)


 町内会の行事で、近所の人達と話をしていた家内の所へ子供が「かあちゃん」と言うてきたのを、近所の人に笑われたのが恥ずかしかったので家内は子供に、呼び方を変えさした。こちらでは(お父さん、お母さん)と言っている。小さい子供は順応が早い。すぐこちらの言葉になってしまった。
 私の子供は40歳近くなった今でも、お父さんお母さんと言う。もうこれは一生続くだろう。私が自分のことを、今でも僕と言うのと同じである。私が子供の時に、母が僕と言うように教えたそうである。
 母に文句を言うのではないが、こんなものは、讃岐の方言通りオラとかオレで充分であり、それが自然であろう。
 それよりも、対人関係に強い人間に育ててほしかったと思っている。特に感情的トラブルに対してである。
 これが弱かった為に苦しみ通した人生だった。
 三つ児の魂百までとはよく言ったものである。
 さて環境が変わって、珍しさもあり休みの日はいろいろ遊んだが、転勤があるからには会社で仕事しないといけない。工場が違えば作っている製品も違うので、新入社員と同じであった。四国では間接部門であったが、こちらは製造工程に配属されて、それも流れ作業なので自分のペースで仕事ができなくて、ついて行くのに苦労した。
 三ツ星ベルトは化学工場であるから、いろんな薬品を一杯使う。特に有機溶剤はふんだんに使うので、体の害を気にするようになった。
 手首から先が溶剤だらけになり、仕事が終われば、その溶剤を取る為に石鹸で長いこと手を洗うようになった。
 溶剤を洗ってもワックスを塗った車が手をはじくように手の上を、水玉が転がるのを見ては、まだ取れてないと思って何回も何回も洗うようになった。
 これが不潔恐怖という神経症に発展するとは夢にも思わず、自分の気がすむまで洗っていた。
 強迫観念の常として洗えば洗う程、洗う時間、洗う回数がひどくなっていくのである。はた目にもそれが分かるのか同僚から「山下さんまだ洗ってるのか?」と言われるようになった。洗って楽になるのではない。もう一回、もう一回と何回も洗わないと気がすまなくなり、段々と洗うのが苦しくなってくる。溶剤にさわれば洗わないといけないので、なるべくさわらないようにしていく。いわゆる強迫禁止という現象になり、仕事もやりにくくなってきた。会社で歩いて同僚とすれ違ってその人の服にさわったら、自分の服に溶剤がついたように思えて服まで洗うようになった。
 同僚の仕事着が溶剤で汚れて光っているからである。

執筆 :(T.Y)