体験記 (63)
横須賀へ来て環境が変わり、心が外向きになったのか、対人恐怖も影をひそめ、よく外へ出て行った。近くの観音崎の海へ、そして城ケ島、江の島へはよく行った。
子供の七五三には、家内の案で母を呼んで鎌倉の鶴岡八幡宮へ行った。
一緒にいるとケンカばかりして私を悩ましたが、こうしてたまに会うと平和そのものであった。四国でこんな状態だと転勤しなくてもよかったのにと思ったものである。家内は旅行好きな為(私も嫌いではないが)母を連れて2泊3日の予定で日光へ行く。母と家内は全くケンカにならなかった。日光から帰って市内、箱根及び横浜東京へと遊びに連れて行ったりして、いよいよ母が帰る時、東京駅まで送って行ったのだが、母の寂しそうな顔が、今も頭に残っている。
母も本心は仲良くしたかったのであろうと思う。そして私の力ない為に親不孝をしてしまったのである。
さてアメリカ海軍の基地では毎年日米フレンドシップデーというのがあって、その日だけ、一般人も基地の中へ入らせてくれる。四国では体験できないので入りたかった。家族4人で基地まで行く。正門前で簡単なボディーチェックを受けただけですぐ入らせてくれた。
基地の中を見学しながら歩き、軍艦の中へも入れたので甲板まで上がって米兵に写真をたのむと、シャッターを押してくれたり、ニコニコ笑いながらカメラにおさまってくれた。
当時の基地は原子力空母ミッドウェーの母港になっていたので乗りたいと思ったが、任務の為 出航していたので乗れなかったのが残念であった。
基地の中でファンタを売っていたので、子供に買ってやった所、舌が真っ赤になった。アメリカのファンタは何を使っているんだろう、子供に害がないだろうか?と心配になったが、これは杞憂に終わった。このように神経質者は何でも悪く解釈して悩むのである。
基地の近くに(どぶ板通り)という小さい通りがあり、ここは米兵たちの歓楽街になっている。看板、ネオン等すべて英語で、夜ともなれば、日本人は通らなくなる。飲み会の後この通りへ入って行くと米兵ばかりであり、SPがパトロールしている。すれ違う時「ハーイ」と声かけたら大きな声で「ハーイ」と返事してくれた。陽気なヤンキー気質であろうと思う。日本の警察にこんな声かけをしたら何と言われるであろうか。横須賀のどぶ板通り、ここだけは正に夜のアメリカであった。
執筆 :(T.Y)