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統合失調症のKさんのこと (3)

 暑いお盆も終えました。Kさんは墓のなか・・墓参りをしてくださる両親とゆっくりと話が出来たことと考えます。Kさんは気立てよく、両親思いの優しい方であった。母親と話すときは母を敬う呼び名(おたたさま)(ちなみに父親のことはおもうさまと呼んでいた)で話をした。昔でいう名家生まれであったのです。大きな門構えの跡取り坊ちゃんとして出生をしました。いわゆる女中さんもおり、掃除洗濯はその方がし、母は良家の嫁として教養を身につけるための読書に励み、そこには生活観のなさが感じ取れた。一方、私と言えばKと同じ時代を生きたということで話が良くあい、診察が終われば立ち寄っていた。(カウンセリングというものではなくお馴染みさん?)世間常識も熟知し、かなりの教養のある方で話は広がり面白くなる。また、直近のニュースを話題に、幅広くアンテナを張り巡らし、一生懸命力説をしたものでした。時には職員の行動のあり方の評価もしてくれ面白く聞き入ったものでした。話しながらも取り乱すことはなく穏やかさを維持していた。でも、時に会社のことでは興奮を顕わにして怒鳴り声をだすこともしばしばでした。「あいつが自分を目の敵にする。許せん。俺の待遇を悪くさせているのはあいつのせいかな?」と言いながら、その日をゆっくりと振り返り・・・「自分も意見を言ったほうが良かったのか・・」と反省しながら穏やかになり、また、明日へと道が続きました。家の中でも両親に怒りを振りかざし「我々はいかに対応したらよいものか・・・」と相談にこられたりもしておりました。このような日々が20年は続きました。この間預金高も確実に増えていたらしいです。自分のご褒美は新生という銘柄の格安のタバコだけでした。洋服も2,3枚を回着してそれで十分満足、洗濯は欠かさずして、いつも清潔でした。足はサンダル・・・素足。年間通してです。それを冬見た者が<靴下ぐらい買えば・・>と言おうものならドヤサレておりました。忍者ですから素足が常だったのです。そのことを知っていた私は余計な心配、おせっかいはせず、時間が過ぎました。
 病識(P科の)はないものですから、眠れない、不眠は「修行が足りないからだ」と言い、内科入院(当院)を余儀なくされることも6,7年に1度はありました。後半にいたっては「喫煙するなら入院はさせん」と言われ、ショックと同時に世の不条理さについてとうとうと私に語ったものでした。
 ある、冬のことですが何人かのかかわりを持つ職員に「バレンタインデーのチョコを・・・」とせがむ光景を目にしました。山に住む仙人を装ってはいますが、世間の常を味わいたかったのでしょう!
 でも、このようにしながらもデイケアーには決して参加するとは申しませんでした。「気を使うところはもう結構、集まる患者は自分とは話が会わんで・・・」と体裁よく断るのでした。このころは傍目から見ても年を重ね、精彩もなくなり、一人にならない工夫をするために提案をしましたが却下でした。(続く)

(G記)