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体験記 (50-51)

 

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 毎月木曜日の集談会に出席していたが、ある月 仕事の都合で休みが取れなかった。対人恐怖の苦しみの最中なので集談会へは行きたかったが、勤め人は会社を優先しなければならない。集談会の前日 会員の上池という男性から電話があり「山下さん、明日集談会だから来てくださいよ」と言われた。その時私は、「明日は会社の休みが取れなかったので休ませて下さい」と答えたら黙って電話を切ったので、私が欠席する理由は分かってもらえたと思っていた。
 翌月は会社の休みが取れたので会へ出席して、中へ入って行くと上池さんが先に来ており、私を見ると「山下さん先月来なんだね」と言われた。私は、電話で欠席する理由を説明していたのだが分かってくれなかったのだろうかと思い、「すみません、先月は会社の休みが取れなかったので欠席させてもらいました」と言うと何も言わなかったので、(やっと分かってくれたのか)と思い席に着くと、5分ぐらいして、また上池さんが、「山下さん、先月来なんだね」と今度は語気を強めて言われたので、この会が恐くなってきた。神経症で苦しくて苦しくて辛いので会には行きたかった。しかし会社から「仕事が忙しいのでこの日は来てくれ、別の日に休んでくれるか?」と言われた。集談会は翌月行くことができるが、会社は給料をもらっている以上自分勝手なことはできない。わがままを言って無理に会社を休めば会社から睨まれる、やはり仕事を優先せざるを得ないのだが、それを分かってもらえず、欠席した事を責められたように思って上池さんに会うのが恐くなった。
 自分に関わりのある人とは仲良く和やかな関係を求めており、感情的なトラブルになるのを恐れてそこからの救いを求めて来ている集談会で、このように感情的に攻撃されることに耐えられなくなった。
 高松集談会は磯島先生が上池さん達数人の有志で立ち上げた会である。診察の時に磯島先生に上池さんに言われたことを打ち明けた所、先生から「上池君は純然たる森田神経症じゃないんだ」と言われた。
 それを聞いた時、(そんな人をなぜ森田の席へ送ってくるのか)と思い、先生にそれを言いたかったが、先生が送ってきた人のことをそんな風に言えば、また先生から怒られると思って言うことができなかった。
 上池さんに会うのが嫌になり結局集談会を辞めてしまったのである。
 

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 集談会を辞めて磯島クリニックだけ行っていたが、海野先生同様やはり薬をくれた。この種の薬は唯イライラする気持ちを抑えるだけで治療には役にたたず、しかも必ず副作用があることを薬剤師から聞いていたので、薬を飲むのが嫌で仕方がなかった。先生にそれを訴えるが、先生から「心配ない、これは、よう効く薬だから飲め」と言ってくれたが頑として飲まなかった。
 先生は「ノイローゼによう効く薬だ」と言ってビタミン剤を処方してくれていたのである。
 これは俗に言う(鰯の頭も信心から)というのと同じで効くと信じて飲めば何を飲んでも効くという、いわゆる暗示の作用を利用したものであった。
 それでも頑固な私は、頑なに薬を拒んだ。先生も諦めて薬を出さなくなった。一番たちの悪い患者であったのである。上池さんの暴言を嫌って先生が「森田を勉強しろ」と言って勧めてくれた集談会も辞めてしまい、先生の言うことも聞かず薬も飲まず先生を怒らせてしまい、結局、病院へも行かなくなった。
 病院も集談会も離れて、行く所をなくして、一人で悶々とした日々を送っていたのである。
 それでも会社へは休まずに出勤していた。
 人が自分をどう思っているか、私の言動を悪く評価されて、嫌われているような気はするものの、何か嫌なことを言われたりして、トラブルになっていなければ、仲間として雑談したりして、はた目には普通の状態であった。
 仕事も普通にできていたので、私が黙っていれば周囲の人々には対人恐怖という神経症で苦しんでいるとは全く分からなかったと思う。ただ(山下はちょっとしたことを気にして悩む人間)ということは分かると思うだろうが。
 日常生活は普通にできていたから海野先生から「神経症といっても君のは軽いが」と言われたのもうなずける。思い症状の人は家から全く出られず廃人同然の生活になるらしいが、私は悩みはあるものの普通に生活できていたから、海野先生の(軽い)という見立ては合っていたようである。

執筆 :(T.Y)