体験記 (45)
診察に行ったら先生が「山下君、力あるんだろう。これを運んで向こうへ持って行ってくれるか?」と言われ、本の束のようなものを運ばされた。言われるまま運んで行くと、その後で奥さんがタバコを1箱くれた。このぐらいなことは普通ならば(ありがとう)だけですますと思うのだが、こんな時「私はタバコは吸わないので」と言って断るのだろうが、何でくれたのだろうと思いつつもそのままもらってしまった。これも人との付き合い方、接し方を知らないから、相手の言いなりになる幼稚さがあったのかも知れない。
その時、先生は何も言わなかったが、今思うに、あの時先生は人との付き合いはこういう風にするんだぞということを、それとなく教えてくれたのかも知れないと思うのである。私はタバコは吸わないのでもらったタバコは伯父にあげた。診察でいろいろグチばかり言っていたが、それとなく先生は「それがどうしたんだ。そんなもんどこにでもあるが」と軽くいなされた。私の悩みは世間で一杯あるありふれたことで問題にするべきものでないような口ぶりであった。診察で先生は、私の家族の亡くなった人の死因をいろいろ聞かれた。兄のことを聞かれた時は、自殺ということは言いにくかったが、先生にかくすことは治療の為によくないと思い正直に話をした。しばらく考えて「あれ、縊死(いし)って言うんですか」と言うと、これには先生もびっくりしたみたいであった。首つって死んだということを聞けばびっくりするのが当然であろう。先生は「えーッ」と言って顔をゆがめてびっくりしていたが、すぐ普通の態度で話をした。18歳の時に東京の高良興生院へ通信指導を受けたことを言うと「その時に高良先生の所へ行けばよかった。そうしたら完全に治っとった」と言われた。先生は「神経症は医者と話をすることによって治る」と語気を強めて私に言うが、森田先生も最初はこういう言い方をしたとのことであった。
語気を強めて「絶対に治る」という自信たっぷりの言い方は、そういうことで患者が安心するという。暗示の作用があるのは分かっていた。(本の読み過ぎで素直さがなくなっていたようである)先生は私の子供時代の思い出をいろいろ聞いてきた。「子供の時にどんな体験をしたか、思い出すことを何でもいいから言うてくれ」と言われいろいろ思い出しながら、あゝいうことがあった、こういうことがあった」と先生に打ち明けていた。後日、森田の本を読んで、これはフロイドの精神分析ではなかろうかと思った。
執筆 :(T.Y)