体験記 (41)
命拾いをした父は無事退院して普通の生活にもどったが、私の人の顔色を見てオドオドする生活は変わらなかった。人から嫌なことを言われると、いつまでもその事が気になって、その人と物言わなくなり、その為にますます、その人と折り合いが悪くなるので、その都度、当時の係長に相談していた。最初は話を聞いてくれていたが、何回も度重なると(またか)という気持ちになるのであろう「相手のすることやけん、お前の思うようにはいかんわ」と言われた。人の悩みは聞く方はいやになるのは当然である。しかし私は何かあるとすぐ人に頼ってばかりだった。総務課長から「山下君、友達を作ったらどうや」と言われた。たしかに一人の友達もいなかったのである。神経症で人の顔色ばかりみてビクビクしている人間に友達なんかできなかったし、また作ろうとして自分から働きかけるようなこともしなかった。父からも、「この番屋で一人の友達もおらん」と言われたが、人が集まる所へ行くのが恐くて(人が自分をどう思っているかばかり気にしていたから)逃げるばかりしていたのだから、親しい友達ができるはずもなかった。20歳代の若者らしい明るさはなく、人からは暗い性格に見られており(事実でもある)服装も「仕事着のときはそうでもないが、私服の時は老けて見える」と言われていた。会社の制服はみな同じ物なので、普通にみえるのだか、私服は暗い感じの物ばかり着ていたので、年より老けて見られていたのである。 人から趣味を聞かれて「花を作っとる」と言うと「年寄りみたいやのー」と言われた。若い時であれば、仲間と飲みに行ったり、ゴルフに行く人々もあろう。釣りに行ったり旅行に行ったり(会社の慰安旅行でなく友人との旅行)皆それぞれの春を楽しんでいるのだが、私は一人で花、小鳥、金魚、熱帯魚等、物言わぬ生物を相手に人生のほとんどをすごしてしまった。大きな失敗はなかったかも知れないが、反面人生の楽しみも知らずに生きてきたと思う。 仕事だけで繋がった人間関係であった。これでは親しい友人などできるはずはなかった。唯々人から嫌われ悪口を言われるのを恐れて人との接触をさけるばかりであり、飲み会に行っても、たいていが、その場にいなければ、私の悪口を言われているんだろうな」と考えて、だから他人は恐ろしいと思っていたのである。
執筆 :(T.Y)