母との関係(4)
以前書きました様に、「母の様な人にはなりたくない」という強い気持ちが、私の行動に深く影を落としてきたのですが、では改めて自分がすっかり母に似ているか?というと、そうではないと最近思うのです。私は昔から父に似ていると言われることが多くて、自分でも、父親似かなあと思います。私のことを他の誰よりも慈しみ、育ててくれた父は54才という若さで病死したのですが、娘の私から見ると、心の中に悲しさが消えない人でした。私の厭世主義は父ゆずりだと思っていたのですが、私が父に育てられたから、というだけでなく、私が生まれ持った性質でもあるのかな、と最近思う様になりました。私が夫と結婚して、驚いたことの1つに「人は50%は持って生まれたもので出来ている」という考え方があります。私は「人は環境が80%」と信じて疑いませんでしたので、最初は大変驚きましたし、つい最近まで、その考えを受け入れませんでした。(私もかなりがんこです。)でも、子育てをする中で、色んな方と関わるにつれて、確かに環境も重要ですが、それだけでは説明できない、その人その人の性の様なものに気付かざるを得ませんでした。“個性”とよばれるものだと思います。(もちろん遺伝もあると思います)。私はしばしば、自分の厭世主義に苦しむ時があり、そんな時は考え方や感じ方も刹那的になっている様です。
自分が努力すれば、良い環境にずっといれば、母とのことが心の中でも終わってゆけば、このいやな厭世主義から開放されると思っていたのですが、そんなことはないかもしれない、と最近思う様になりました。そんな風に思うこと自体、驚きです。自分の一部だと思い始めているのです。
父と母、二人のことを思うにつけ、私にはまだ気付いていないことが残されていると思えてなりません。