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体験記 (32)

 2ケ月間、荒っぽい口調の人たちと仕事をしたが、その時だけで、後は何事もなかったようにケロッとしているのと、2ヶ月すれば四国へ帰れるという事実がある為か、神経症の苦しみに落ち込むことはなかった。口は荒いが、安全面には十分気をつけていたみたいである。応援者に怪我をさせないようにと会社からの指示を受けていたとのことだった。
 小牧市に工場があり、ここは航空自衛隊の基地があって工場の屋根すれすれに飛行機が飛んでくると声が聞こえなくなり口だけがパクパクしているのは漫画のようであった。
 あれから45年にもなるが、現地の人々は今も同じような生活をしているのだろうか? これを考えると沖縄の人の気持ちも理解できるのである。
 寮では寝泊りだけで食事と風呂は会社の中ですますのであった。朝会社へ行って朝食をとるのだが、飲んだりしていると味噌汁の具がないのであった。セルフになっていたので先の人が具を取ってしまうから、汁だけしか食べられない。人のするのを見てその通りに先に味噌汁を注ぐようにした。汁の注ぎ方も人のしているのを見ていると、底に沈んでいる具を先に取って後から汁を入れていた。これでは後の人が汁だけになるのは当たり前である。意地汚いようだが、皆がそうしているので、やらざるを得なくなった。これから考えると家庭でも、一人っ子はおっとりしているが、兄弟が多いと、すばしこくなるというのも、うなずけるのである。夏の暑い時に慣れない所で慣れない仕事と一週間毎の夜勤はきつかったが、若かったからできたのかも知れない。こういう環境で仕事をしていることを会社も考慮してくれたのだろう。2回程、応援者だけバスをチャーターして遊びに連れて行ってくれた。
 1回目は長良川の花火大会だった。田舎の花火大会はポンポンポンとあがると、しばらく沈黙があり、思い出したように次の花火があがるのだが、こちらの花火は3時間ぶっ続けにあがりっ放しだった。その上、マイクで花火の解説までしてくれるのには驚いた。異郷の川岸で夜空の芸術を十分楽しめた。(そうとう金もかかるが今はどうなっているやら)
 2回目は名古屋球場への野球観戦だった。私はこういう性格だから、野球には興味がなかったが、応援仲間から「会社が連れて行ってくれるんやから行こうじゃ」と言われて行くことにした。巨人軍と何処かのチームだった。関心がないのでそれしか覚えていないが、プロ野球を見に行ったのは私の人生で後にも先にもこの時だけであった。

執筆 :(T.Y)