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体験記 (25-26)

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  当時、久米川という男と一緒に仕事をしていた。仕事をし乍ら時々話しをするのだが、「山下君、チューブの女の子が『山下さんはおとなしそうだけど話しかけにくい』そんなうわさがたっとるぞ」と言ってくれた。
 毎日、チューブの仕上げへ行くのであるが、仕事の話し以外はしなかった。それでも仕事に関係のない人から声かけられることもあったが、私はその声かけに答えることはしていた。しかし自分から声かけて雑談するようなことはしなかった。内気で気弱な為、女性が側にきただけで緊張してしまうのである。だからといってその女性を特別に意識している訳ではなくて、あまり話しをしたことのない女性だとそうなるのであって、仕事の用事で話しをしていて慣れてくるとそれも薄れるのだが、それでも冗談を言ったりして雑談を楽しむということはできなかった。
 要は子供の時から人との付き合いをしていないのと元々無口な性格の為に、その場その場にふさわしい話題がでてこないのである。
 その上、神経質の対人恐怖の症状も多分にあったと思う。つまり自分に関係のあるすべての人々から嫌われたくない。みんなから好感を持たれたい、いい人と評価されたいという思いが人一倍強く、従って自分の言動が人からどう思われているかということをいつも気にしているので、人と対しても言葉がでてこないのである。
 こんな気持ちだから人からの自分への言動が、自分を見下げられているバカにされている、自分がその場にいることを不快に思われている等々を思っているのだから人との会話を楽しむということはできるはずがない。従って人から話しかけられても少しの会話ならばいいのだが、用事もないのにしばらくその人と同席しているのが苦痛であった。何人かの人がいると皆楽しそうに話しをしているのを横で聞いていればいいのだが、2人だけになると会話が止まってしまい何か気まずい状態になるのである。
 当時の会社も今と同じように更衣室はあったのだが、あの頃の物流課は、作業場の一角にダンボールを置いてそこで着替えをしていた。(今はそんなことは会社が許さないが昔はおおらかだった)
 ある日、自分の仕事が早く片付いたので定時で帰ろうと、手を洗って着替えをする為に、作業場へ帰ると仕事で何かトラブルがあったのか、3〜4人の女性が製品の検査に来ていた。
 着替えをして帰ろうと思ったのだが着替えができなくなった。仕方なく定時で帰るのをあきらめて残業をしたのであるが、その時、同僚たちから、「山下、女の前で着替えができんのか」と言って笑われた。女性たちからは「ここにそんな純情な子がおるんな」と言われた。今ならできるだろう(失礼なことではあるが)当時は恥ずかしくてできなかった。これも内気で気弱な性格の為と異性に対して免疫ができていなかったのだろうと思う。
 当時は毎年、秋の日曜日を利用して会社のグラウンドで部署ごとに分かれて運動会をしていた。会社の行事なので仕方なく出席していたが、プログラムを見て、このゲームに出たいと自分から積極的に言うことはしなかった。係りの人から「山下、何々に出てくれ」と言われたらゲームの種類が何であれ、それには逆らうこともせずに言われた通りにしていた。
 物流課は人数が少ないので総務課とチームを組んで行っていた。係の者から「山下、二人三脚に出てくれるか?」と言われて出場したことがある。宮武という総務課の女性と走らされた。
 翌月月曜日にいつも通り仕事をしていると、2〜3人の男たちから、「山下、宮武さんがケガしとるぞ」「あんなことしてあやまって来い」「何とも思わんのか?見舞いぐらいしてやれ」次から次へと怒鳴りつけられ、何がおこったのが分からず何で怒られるのかも分からなかった。
 話しを聞くと、二人三脚で走った時に鉢巻で足を縛ったのだが、鉢巻がゆるんでいたのか、途中でゆるんだのか不明だったが、鉢巻で宮武さんの足が擦れて色が変わっていた。
 日が立つと治ったみたいだが、そういう体質だったのかも知れない。仕方なく見舞いとして菓子を買って持って行った。
 宮武さんが、「山下と走って足がこんなになった」と言いふらして、男たちから責められたのである。
 これだからチームでするスポーツは嫌いなのである。

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 こうなったのが私でなく,他の男だったらこのように何人もの人間から暴言を吐かれたりはしなかっただろうと思う。これは私の性格が、人から何を言われても言い返すこともできず言われ放しで黙ってがまんしているので私には言い易いからであろう。
 この件は私に全く責任がなかったとは言えないだろうが、同じ状態で走って私はなんともなかった。言い訳になるかも知れないが、彼女の体質も、原因していたと考えるのである。
 しかし、このようなことがあってもいつまでも落ち込むようかことはなく、年一回の運動会には出席していた。
 会社の行事だから、欠席すれば、周囲の人の私に対する思惑が気になり月曜日に会社へ行くのが苦しくなるので、仕方なく出席していた。(強制じゃないので用事があると言えば何も言われないのではあるが)
 他の人はこういう行事は楽しみにしているみたいだが、それでも私も会場へ入ってしまうと、いやだなという気持ちもうすれて案外リラックスしてその場をすごしていたのだったが、心の片隅には(早く帰りたいな)という気持ちはいつもあったのである。
 このようなことは運動会だけでなく、物流課はよく飲み会があった。春の花見、年末の忘年会、人が動けば歓迎会、送別会と銘打って行われているのだが、これも物流課の行事だから仕事の一部として出席していた。100%の出席だったので私一人欠席はやはり人の目が気になりできなかった。
 飲み食いはいいのだが、食堂で食べてすぐ出るのとは違い宴会となると約3時間ぐらいは皆と一緒に時を過ごすので、これば苦痛になるのであった。
 会社での仕事であれば、仕事上の用事ができるから、その話しがあるのと、仕事の話しがなくても、勤務なので黙って仕事をしておれば、それでいいのだが、これという用事もない飲み会では話題がなくて困るのである。皆あっちでこっちで勝手なことをしゃべって和やかに楽しんでいるみたいだが、私は話題がなく黙っているので自然と人も離れていき宴席で一人ポツンとしてしまうのであった。そんな風であるから、どうしても居りづらくなり、お開きまで待てなくてソーと抜け出して帰ってしまったことも何回かあった。周囲の人たちは会社へ行っても何も言わなかったが、おそらくこうする私の態度を付き合いの悪い奴と不快に思っていただろうと思うのである。
 料理にしても鍋よりも懐石の方がよかった。懐石だとこれは自分の物ときまっているから遠慮せずに好きなように食べられる、鍋だとどうしても人の目を気にして(どう思われるか)野菜とか白滝のような物ばかりしか取れないのである。
 酒を注ぎにきてくれても「もうようけよばれたので」と遠慮してしまうのである。他の人は好きな物を好きなだけ食べて飲み、なかには「山下、酒注いでくれ」とむこうから催促してきたりするのだが、私はそんなこと言って酒を注いでもらうことなど絶対に言えなかった。
 従って同席の人から「自分が金出していて食べれんのやから」と言われたことがある。食べても食べなくても食費は払わなくてはならない。いわば、割り勘であるのに遠慮ばかりしていたのであった。
 そんな風だったから家へ帰って腹がへって台所で飯を食ったりした時もあった。
 酒も宴席で飲むのは心が緊張している為か絶対に酔わなかった。いくら飲んでもしらふのようであった。従って人から「山下、お前は酒に強い」と言われるのだが強いのではなくてリラックスできないので酔えないのである。
 そのくせ家で心安い人と一緒に飲むと(身内等)酔って寝てしまうのであった。

執筆 :(T.Y)