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体験記 (11-14)

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 翌日ぐらいであったか、風呂上りの時に神経科の方から診察室へ来るようにという案内があったので、一階の診察室へ行き会社での人間関係のこと(一緒に仕事している人が私には冷たく嫌われていていじめられる。私だけのけ者にされる)を訴えた。
 先生は黙って聞いていたが、立ち上がって一冊の本を持ってきて私に渡し、読むように勧めた。
 渡された本のタイトルは「神経衰弱と強迫観念の根治法」という本であった。
 病室のベッドでその本を読んで、私の性格は神経質というもので、ささいなことを気にしてクヨクヨと悩む性格で、私の悩みは対人恐怖という神経症(ノイローゼ)であるということが書いてあった。
 この時初めて自分の性格を知ったのであるが、読み進むにつれて私の対人関係以外にもいろんな内容の症状(悩み)があることをこの本で知ったのである。
 病院のベッドに横になって本を読んですごしていたが、ある日夜中に目が覚めた。まだ朝まで時間があるので早く寝ようと思った。しかし眠ろうと思えばますます目がさえてしまう。
 その時、あの本の中に不眠で悩んでいる人のことが書いてあったのを思い出した。(眠ろう眠ろうと努力することは結果としてますます眠れなくなり苦しみを倍加していくのである)が当時の私はそのような心のカラクリは知る由もなく、誰でもやるであろう眠ろうとする努力をしていた。心を落ちつけて早く眠ろうとする程、目がさえてしまう。
 真夜中の病室は、やけに静かである。当時は木造の建屋であり私は振り子の音が静かな病室にコチコチと響いているのが聞こえてきた。
 その時に(あゝこのこともあの本に書いてあったなと思い出した)時計の振り子の音がうるさくて眠れないというのが書いてあったのだ。
 音響恐怖というのだと書いてあった。当然、私のやったことは、この音を聞くまいとする努力であった。指で耳を押さえたり、ふとんを頭からかぶってみたり、いろいろにして音を聞かないようにした。そんな努力をすればする程、音は大きく響くようになるのであった。
 一夜明けて、昨夜は時計の音がうるさくて眠れなかったな、今夜は静かに眠りたい、という思いと眠れるだろうかという不安で心細くなっていた。昼間の病院は人の出入りその他の音でザワザワしていたがその中でも時計の音だけははっきりと聞こえてくるようになった。
 時計の近くにベッドがあり乍ら入院して今まで時計の音は聞いたことがなかった。しかし今は周囲がどんなにさわがしくてもはっきりと聞こえてくるのである。聞くまいとする努力は注意がそこに向かっているのだから聞こえるのはあたり前だが、そんな心のカラクリは全く分からず何とかして聞かないようにする努力と不安でガタガタふるえているのであった。気が付くのと気が付かないとの違いだけだが一瞬にして地獄に変わってしまったのである。
 それからは、不眠と音響恐怖の長い苦しみが続くのであった。これがノイローゼであるということも知らずに苦しんでいたのである。
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 次の夜も、今夜は眠りたいと願い乍ら夜をむかえ眠らんとする努力の結果、ますます目がさえてきて時計の音はコチコチからガンガンというようになり、聞くまいと努力すればする程、音が大きくなるのであった。
 時計の振り子に強迫されているようで、正に強迫観念とはうまく言い得ていると思った。 こんなことを一般の人が聞けば気が狂ったとしか、みてくれないだろうと思う。注意の固着であり不安な心で逃げよう逃げようとするからますますこびりつくという心のカラクリがあったのだが、知識的なものは何も知らなかった私は、ただただ音を聞かずに眠りたいとばかり願っていた。
 本を読んで、今まで知らなかった症状の内容を知ったがために対人恐怖以外に新しい恐怖にとらわれてしまったのだった。
 想像もしていなかつた恐怖に悩むことになり、この本を読むのが恐くなって神経症の先生に本を返しに行った所、先生は「読まなければだめだ」と言って受け取ってくれない。そして「いろんなことが気になるんだなー、昼間時間があれば病院の外を散歩してみたら」と言われたので散歩して治るのならばと、一生懸命に散歩していたのである。先生は散歩でもして外の空気を吸えば、気分が外向きになり気にしなくなると考えたのかも知れないが、私は治したい楽になりたいという一心で散歩していたのだから不安な心はなくなるはずはなく、治そう治そうという心が、ますます神経症の症状を強めていったのであった。
 それからは四六時中振り子の音と眠りのことばかり考えて、ふるえる毎日になってしまったのである。
 腹が痛くなつて検査の為に入院したのだが内科的には異常がないものだから退院していいですと言われたので今度はこの本を返せると、恐くて読みたくなくなった本を返しに行った所、先生は「持って帰って何回も読むように」と言われて受け取ってくれなかった。 検査入院で、新たな悩みがふえてしまったが、これは私の無知と、理解力のなさが生んだのであり、先生の貸してくれた、この本の内容をちゃんと理解できたならば、神経症は治るはずのものだったのだ。森田先生の発見した神経質者のとらわれの心のカラクリが分からず、私の症状に対する態度が間違っていたために苦しみを倍加していったのであった。
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 久しぶりになつかしい我が家へ帰ってきたが、入院する前とは心が全く変わっている。家に帰って、中へ入るとすぐ注意が向いたのは我が家の柱にかかっていた時計である。入院前には全く気が付かなかった振り子の音がコチコチコチコチと絶え間なく響いてくる。自分の注意が時計の方へ向いて聞いているのだから聞こえるのはあたりまえなのに、注意は時計の方へ向いていながら聞こえないようになりたい、以前のようになりたいと願っているのだから不可能を可能にしようとする、かなわぬ戦いをしていたのである。このことは不眠に対しても、同じような心のカラクリがあったのだが、何の知識もなかった私は眠りたい、ぐっすりと眠りたいとばかり思い、夕食をすませるとすぐふとんの中へ入って眠ろうと努力していたのだから、眠れないのはあたりまえである。
 ついには夜がくるのが恐い程になってきた。太陽が西の空へ傾いてくると心細くなってこんなも眠れないのだろうかと不安におののくのであった。内科、外科的疾患は誰でも理解してくれるが神経症(ノイローゼ)の苦しみは体験した者でないと分かってはもらえず、はたからみると正に気が狂ったとしかみえないと思う。森田先生によると、これは正常な心理であり病気でも何でもない。注意の執着であり仏教でいう迷いであるといっている。当時の私は本を読んで知った中途半端な知識が悪智として働き苦しみが倍加したのであった。
 そうはいっても一度意識したものを無意識の状態になるのは不可能である。夜は6時頃からふとんの中へ入って眠らんとする努力と時計の音に苦しむ毎日であった。
 さてこのような苦しみはふえたが、退院したからには会社に籍がある以上、いつまでも休ませてはくれない。会社へ行けば人の顔色を見乍ら、冷たくされる、いじめられるという思いが出てくるのは分かっているのだが、行きたくないなという気持ちはあるものの折角入社した会社を辞めるのも未練がある。辞めたところで何らかの仕事はしなければならない。気持ちとは裏腹に会社へ行くことにした。
 こういう所が神経質者の思い切りの悪い所である。仕事に対しても執着して簡単に辞めることはできなかった。
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 内科的にはどこも悪くないのだから、行きたくないなどという気持ちはあるものの辞めてない以上、いつまでも休めないので会社へ行った(仕事が嫌なのでなく人が自分をどう見ているのか本心は皆と仲良く和やかにしたいのだが嫌われているように思えて仕方がなく、その為に相手の言動に一喜一憂していたのである)。
 会社へ行くと、私がこういうことで悩んでいるのが同僚たちに伝わっていた。「山下、お前にそんな気持ちは持ってなかったんじゃ」と言われた。これは、普通の態度だが、中野という男からは「お前みたいな奴は気違いじゃ、精神分裂病じゃ」と怒鳴りつけられた。
 私が一番恐がっている態度にガタガタふるえるのみであった。会社を辞めたいと思った。課長から「会社を辞めるのは、ここよりも給料が多くていい仕事があれば辞めてもいいが、こんな理由で辞めるのは、日本では、いい目では見てくれん」と言って、止められた。総務課へ連れて行かれて、本社から(神戸にある)転勤してきていた岡係長を紹介され「この人は人の心をよく読むから相談するように」と言われた。岡さんへは事前に私のことは知らされていた。会社の応接室で岡さんと長い時間、話をした。この人は森田療法のことをよく知っていた。
 本に書いてあることをすごくよく知っているので、この人は大学で心理学でも勉強しているのだろうと思って話を聞いていた。
 話を聞くと少しは落ち着くのだが、森田の知識的なものは何もない私は、その時だけで、すぐ元にもどってしまい、何の為に話をしたのか分からないのであった。 
 当時、岡さんは「眠れなかったら、そのままふとんの中で目をつむっているだけで眠らんでもええやないか。時計の音がうるさくてもそのまま聞いておけ、その為に気が狂ったり体が弱ったりせんわ。また他人は、いつまでもお前のこと思ったりせん。自分のことで精一杯じゃ」と言われたが、それでも私の心では、あの人にこう言われた、この人にあゝいわれた。これは私のことを嫌っているからであろう。もうこの人と仲間として仲良くはできなくなった。
 そのように考えて、その人に近づくのが恐くなり一人くよくよと悩むのであった。その根底にはすべての人々からよく思われたい、仲良くしたいという欲望が強すぎるためであったのだが、もちろん当時はそんなことは全く分からず、人の顔色ばかりみて悶々として生活をしていしたのであった。

執筆 :(T.Y)