体験記 (9)
昭和36年に中学を卒業して津田町にある三ツ星ベルトに入社したのであるが自分がどんな仕事がしたいとか、この会社の仕事が好きとかいう考えは全く持っていなかった。この会社へは叔父が行っていたので叔父の勧めもあつて、それで決めたのだった。仕事の内容よりも、学校の人間関係から逃れたい、それだけしか考えていなかったのである。
入社の時は父が一緒について行ってくれた。その時、父に「大丈夫だろうか?大丈夫だろうか?」と何回も父に聞いていた。
全く未知の世界に入って行くのが不安で不安で仕方がなかったのである。自分の性格の何たるかを知らなかったのであるが、神経症の心配性が強く出ていたのである。
物流へ配属されて出来上がった製品を入庫、保管、出荷作業に長年携わってきた。
子供の時からの習慣で人づき合いが悪く、仕事上の話はするが個人的に人と接することはなくこういうタイプだから友人といえる人はいなかった。
当時は汽車通勤だったので同じように汽車通勤をしている何人かの人々と顔を合わしてはいたが、自分から働きかけるようなことはしなかった。
会社の出退時間なんか何人かの人が駅で汽車を待っている時等に同じ会社の人から声をかけられ話をすることはあったが、自分の方から積極的に近づいていこうとしないからいつのまにか疎遠になっていくのであった。本心は仲間と和やかに接したい気持ちはあるのだが小さい時から人をさけていたので人との接し方の術を知らず、反面、人に私の言動を誤解されて嫌われ悪口を言われるのを恐れるあまり人に近づこうとせず、それでいて私は社交性がないからと一人淋しくすごしていたのだ。(この傾向は今でも残っていて人間関係に影響を与えている)
会社の中でも仕事は普通にやっていたが休憩時間に皆はたわいないことを話してワイワイ楽しんでいるのだが私は黙ってそばで聞いているだけだった。何をどのようにしゃべっていいか分からなかったのだ。
これでは仲間として親密な人間関係はむりだか、それができずそれでいて人と親しめないと悩んでいたのである。
一人ひとりは親切なのだがグループで行動する時は何か私には冷たいなという感じをいつも持って仕事していた。
何人かと一緒だとその人たちは私に冷たいという思いを持ったまま仕事をしていた。
執筆 :(T.Y)