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体験記 (6)

 小学生の子供が友達と遊びほうけることをせずに家で花を育てて楽しんでいるというのは変わった子供だったと思うが花以外に何もしなかったのではなく、それでも子供らしい遊びもしてはいた。海が近いので春や秋には釣りに行ったし、夏は泳ぎにも行った。夏休みにはセミ取りにも行った。しかしそれらは友達と一緒ではなく一人でまたは親戚の人と行くのである。泳ぎには海へ行けば同年代の子供も泳いでいるのでその中で泳いではいたが意地悪をしない人とは時々話をするぐらいで仲良く連れ立って一緒に泳ぐということはなく一人で行動することが多かった。
 学校からの帰りに苛められたことから、そしてそれを親に行ったことでまた苛められ、それからは学校へ行っても何か言われたりされたりする度に、それらをすべて自分を苛めてくると受け取り、学校で級友と行動を共にすることを避けるようになって行ったのである。
 花を作ったり、ウサギを飼ったりして楽しむようになって行った。そのウサギが私の不注意で犬に殺されてしまった時には、いつまでも泣いていた。
 小学生のときから人を避け動植物を育てることに楽しみを求めたのも、生まれながらの感受性の強さに加えて、家庭内でもめごとのたえない少年時代だったので、他人から嫌われる、苛められる、私がいなければ人は楽しいのじゃないか・・・・。そういうヒネクレた考え方が小さい内から身に付いたのじゃないかと考えるのである。
 18才で森田療法を知り、自分が対人恐怖という神経症だと知ったのだが、具体的な知識はまったくなく、唯人から苛められ嫌われるのを恐れて人の顔色を見るばかりで、言いたいことも言えず人の言動に迎合するばかりの生活だった。(この傾向は60半ばになった今でも見られる) 森田を知って50年近くになるが、今ようやくにして森田の言う神経症のとらわれのカラクリが分かってきたように思うが、分かってはきたものの長年にわたる性格のクセは完成されてしまったのか容易には治らないようである。森田でいう神経症のとらわれる心のカラクリは、疾病恐怖は絶対に病気になりたくないという欲望が強く、対人恐怖は絶対に人から嫌われたくない悪く思われたくない欲望の過重からくるものであることを学んだ。欲望と恐怖は正比例する。欲望が強ければ恐怖も強くなり欲望が弱ければ恐怖も弱くなるという。理論は分かっても人の心の中は他人には分からないから、あゝ思われているのではないか? こう思われているのではないか? とそれも悪い方へ悪い方へ悲観的にばかり考えて苦しんできた人生だった。
 小学校の4〜5年の頃からこれにとらわれて、学校へ行っても人の顔ばかり見ておどおどしていたが、中学生になると、丹生、誉水、三本松の学生が一緒になるので苛めもなくなるだろうと考えていたがそれは甘かった。
 中学生になっても小学生の時からの仲間も同じように行くのであり、クラスが変わっても全員が変わるのでもなく、何人かの人間が同じクラスに必ず残るので小学校の時と同じように何だかんだと言われ、やはり小学校と同じような生活であった。人の自分への言動を自分への苛めと受け取るので、それを恐れて言い返すこともせずに言われっ放しだった為、人からは大人しいと言われた。言われっ放しで反発せずに我慢しているものだから言い易かったかも知れない。

執筆 :(T.Y)