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「薬物依存症からの回復」より

<ダルク体験発表>  ―20才代男性―
 小学校時代より対人緊張強く、すでに高学年になると酒に興味をもちはじめていた。この頃一人の女生徒を好きになったが、喋り方がわからずにいた。その矢先、フトTVの一場面に於て、女性の口もとにハンカチをかざし眠らせているシーンに目が留まり、その行為をマネすることにした。親との関係においても これまで<ハイ、ハイ>と素直に応じるやり方で接してきたので自ら働きかけることが下手だった。こうした中で、せき止め液を服用するのが常態化していった。気持ちよくなり、集中力は高まり、時間がなによりも早く過ぎ去り、ラッキーな気分にひたれた。
 高校進学をして、隣席の奴がハード系を用いているので<負けてたまるか>と思い150mlウイスキー1本を毎日呑むことにした。  こうして、どんどんおかしくなってきた自分だった。周辺の親、兄弟がうっとおしくなり、親の庇護のもとでいたにもかかわらず<一人で生きていく>とたわごとを言う自分がいた。いざ一人になると淋しさがつのり、夜間の電話,徘徊、いたずら行為が益々激しくなっていったが、自分が狂っていることにも気づかず<こうなったのも親のせいだ>とわめき、周囲を変えることに必死だった.身体変調もエスカレートし、あげくの果て、歩行困難となり嘔吐激しく・・・やっと病院に・・・。嬉しかった。同時にホットした。このとき<正直になることが大切です>と言われたことを契機に、ミーティングに出席するようになった。はじめはブロン液を呑んでの出席だった。母は落胆して家を出た。親父はそれでも<お前のせいだ!>とは言わなかった。悩みぬいたあげく、ダルクに足を運んだ・・入寮・・でもここの仲間が恐かった。親父に感じたものと同じだった。そこで相手を変えてみようとする癖が出てきた・・・エスケープしかし、行く所がなく、寮にもどる。<臆病者>と笑われるかと内心ハラハラしていたが、しかし<よく帰って来たね>と受け入れてくれた・・嬉しかった。嫌われるのではないかと・・・ビクビクしていたが、この時から<本気でやめよ!>と心に誓った。今、仲間といることで少しずつ楽になっている自分を発見している。クスリをやめさせてもらえていることに感謝している一日一日です。

 ダルクの施設は1953年南カリフォルニアでスタート。その後、人数がふくれあがり<今日一日やめよう>をモットーにして現在日本においては190会場にも発展しているとのことです。
 断酒の誓いと同じです。"過去のことは変えられないから悩むな。明日はど〜なるかわからないから悩むな、だから今日,今を生きよう"というものなのです。
 みなさん、このよ〜にミーティングという場面で自らの棚おろしをされ一すじの光を求めて出席されているんですね。たとえ自分の為と言えど寒い冬の日もありますよね・・
 心温まる場に集う方々に頭が下がります。

 (G)
 

<あとがき>
 先日一人でふらっと船越桂展に出向きました。実物像の上半身の彫刻です。目は大理石でつくられて表情がうかがえます。斜視風な目の配置より何か遠くをながめている様がみられます。これは自分の心の内をながれているというものです。遠い遠い心の内を・・。
 今年も早くも幕を閉じようとしております。何と月日の経つのが早く・・そうおもうのは,私だけでしょうか・・・!
 今年もお世話になりました。来年もよろしくお付き合い下さいませ。

(G)