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(手記:エフコ)

「ブレーメン紀行(4)」

 5月中旬にドイツ・ブレーメンへ行った。10日目に長女に第二子が誕生。娘の出産に母親の胎内から赤ちゃんが出てきたら父親がへその緒を切る。助産師さんが赤ちゃんをていねいに拭いて、紙おむつをさせ、Tシャツを着せ、カバーオールをはかせ、上にカーディガンを後ろ向きに着せたようなものを着せ、帽子を着せる。そして小さな赤ちゃん用のベッドに載せる。赤ちゃんと母親は同室で、生まれてすぐからの赤ちゃんの世話はすべて母親。助産師さんが指導・観察をしてくれる。
 その日早朝にクリストフが病院に娘を連れて行った。午前のはやい時間に第二子誕生。クリストフと孫と私の三人でその日の午後病院に。赤ちゃん誕生おめでとうと、お花屋さんで花束を買って病院に御見舞いに行った。ドイツの人は赤ちゃん誕生のお祝いに病院に行く時は花束を持って行くよう。同室(二人部屋)の方のところにも同じようなのがあった。ドイツでは生まれたての赤ちゃんをすぐに皆が抱っこをするのには驚いた。両親が抱っこをするのは普通と私の中では考えても、4才にもなってない上の子に生まれたその日に抱っこさせるのには驚いた。もちろんベッドの上、母親が手を添えてではあるが。上の子にとっては、動くおもちゃである。私など久しく赤ちゃんに接してないので、壊れそうで恐くて、しばらくは抱っこできなかった。
 ドイツのベビー服は、生まれたての赤ちゃんから、いつでもお出掛けできるような服である。日本のように新生児は静かに寝させて1ヵ月検診が終わってからとか首がすわってから外に連れ出すというのはないらしい。生まれたての赤ちゃんでも買い物に連れて行ったり、外出の時は一緒のよう。その為に生まれたての赤ちゃんでも、いつお出掛けしてもいいような服を着せる。いつお出掛けしてもいいような服も入院中(平均3日)は病院の貸与服を着せている。
 ドイツには生まれてすぐに赤ちゃんが産湯をあびる習慣がないよう。生後2週間位の時、娘がそろそろお湯に入れてあげようかと、小さな容器の中で赤ちゃんを産湯に入れていた。
 ドイツの出産入院は、平均3日。退院後は地区の助産師さんが家に来て赤ちゃんと母親を観察してくれる。国の規定で産後10回まで来てくれるよう。母親と助産師さんとの話し合いで来てもらう日は調整していた。驚いたことに、娘と同室だったドイツ人の女性。第二子出産で帝王切開だったのに出産後5日目に退院。「抜糸などどうするのだろう」と私が言うと、娘が「この頃は、体に吸収する糸を使っているから抜糸はしなくていいのよ」とのこと。それにしても驚くことばかり。
 退院の時は、赤ちゃんは自宅から持って来た。お出掛け用の服に着替えチャイルドシートに乗せる。チャイルドシートの上にしっかりした持つところがついているもので、クリストフがチャイルドシートに乗せた赤ちゃんをぶらさげて車まで行き、そのチャイルドシートを車に固定して退院。赤ちゃん用のチャイルドシートは幼児用のを小さくしたもので形は、日本のものと変わらない。
 名前は五つまで付けられると聞いた。上の孫も下の孫もそれぞれ三つずつ名前を持っている。ちゃんと戸籍についている。娘の家の場合最初の名前は、両親が考え、次の二つの名前は、クリストフの両親と私方とが考えた。ドイツの場合、名前が三つ前に並んで後に姓がある。ドイツ語でも呼びやすく、日本語でも呼びやすい名前を考えるのは大変であった。私の場合、幸せな人生を送れるような画数の名前を考えクリストフに提出。その中から彼がドイツ語でも通用する三つの名前が流れよくなるのを考えるのにエネルギーを使った。退院する時、国の係官が来るのに提出しなければならず名前を考えるのに皆疲れた。クリストフが慎重な人だから彼が一生懸命考える程、なかなか決まらず大変だった。
 ドイツは一年中の日照時間が短い国なので、クル病予防の為、生まれてすぐの赤ちゃんから満二才までビタミンDを飲ませるよう国から配布される。
 私がドイツへ行った最大の目的は、娘が第二子が生まれるので、上の孫の子守。上の孫は3才11ヵ月。幼稚園に行っている。孫の幼稚園は路面電車に乗り、中央駅でバスに乗り換え約30分で行く距離にある。
 娘が第二子を出産したら、私が一人で孫を幼稚園に迎えに行った。休日の日ある日、もう一人で幼稚園へ迎えに行く日が明日からかも、との思いで一人で路面電車とバスに乗り継ぎ幼稚園へ行った。娘が書いてくれたドイツ語とカタカナ書きの音のアナウンスは私には覚えにくい。娘は「外の景色で覚えた方がいい」という。メモを片手に外ばかり見て緊張のうちに無事幼稚園へ着いた。ヤレヤレ。さあ帰る時は来た時と反対でいいのだと思っても頭の中は混乱している。風景を見ても、はてどうであったか?という状態。エイ・ヤアー!とバスに乗ったが、どうも見たことのない風景。バスの中でメモを片手にキョロキョロしていたら、私と同じように、お節介おばさんはドイツにも居ました。親切な女性がメモを見て反対だよと、ジェスチャーと言葉で言ってくれる。ありがたい。どうにか乗り換えの中央駅に着き、娘の家に帰り着くことができたが、不安一杯!
 孫の幼稚園は3才から就学前の子供で18名。キリスト教の教会の一部を借りて、父母の会が運営している。一番偉い人は父母の会の会長さん。先生が全部で3名。保育学校の実習生が2名いた。

 8時半から2時までで、給食を食べてから帰るというシステム。給食は園児の父母が当番制で作る。今日は誰のママが作ってくれたとか、今日は誰のパパだったよという具合。娘も私がブレーメンへ行っている間に2回当番があった。娘の場合出産前後であったので、家で前夜に作り、クリストフが孫を幼稚園に送る時、持って行く。容器は私が孫の迎えの時、持って返った。
 孫は給食が終わって、おなかが一杯になって眠くなった頃、お迎えに来るおばあちゃんを困らせる。バスや電車でグズル。タイヘン・タイヘンなおばあちゃん。ドイツの人は子供を大声で叱ったり上から抑圧してダマラセルということをしない。日本式の私は思い通りにしたいという思いと、思い通りにならないというギャップでしんどかった。

 孫が帰宅してから就寝までの子守役。同居していない孫だから何をしてどう遊ばせたらいいのか戸惑う。本を読むのはよく聞いてくれた。絵をかいたり、パズルをしたり、ごっこ遊びをしたり、天気のいい日は近くの児童公園に行って遊んだ。児童公園はよく整備されている広い広い公園。遊具もしっかりした取り付けになっていて、ブランコは1才の幼児でも乗せられるように枠のあるものが設置されていたのには感動した。子供が楽しく遊べるように地下水がくみ上げられ水路を作ったり泥んこ遊びをしたりして、小さい子も大きい子も遊べるようになっている。地下水をくみ上げるポンプは、小さな幼児でも動かせば水が出る手押し式のポンプ。児童公園には砂遊びの道具。サッカーボール、なわとびなど、それぞれ持った子供達が集まって来る。
 娘は孫の教育で、母親との会話は日本語、父親との会話はドイツ語と教えている。夫婦の会話はドイツ語。クリストフが私と話をするのは日本語。孫が日本語で話をしてくれるので助かる。母親が本を読むのは日本の絵本。父親が読むのはドイツの絵本。
 高速道路で約1時間の距離に暮らしているドイツのおじいちゃん、おばあちゃんにとっても上の孫は初孫。二人の孫、そして我娘。この家の家族として幸せに暮らしていること、ドイツに行った私にとってその姿を見ることができたことが一番の安心。そして私自身も幸せを感じた。

(手記:エフコ)