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(学生H男)

 犠牲への手紙        

  この犠牲に登場する人物の名前は、洋二郎という次男で1993年8月に自宅で自ら命を絶ち救命センターでいったん蘇生に成功したが、意識は戻らず脳死状態に陥り11日間の集中治療の甲斐もなく息を引き取り二十五歳と八ヶ月の生涯を閉じた。そして二年後の九五年に息子の「生と死」について綴った本を出版した。世に出してみると、思いがけず大きな反響があり、多くの新聞・雑誌からインタビューを受けただけでなく読者からの多くの手紙が寄せられた。その数は三百枚近くになっていた。

 僕はこの犠牲というものをよんで、何か心の中に残るものを感じました。多くの手紙の中には自分の家族の方の実体験や人生を重ね合わせた手紙などが特に多くみられた。そうした手紙を読むたびに、男であれ女であれ若者であれ中高年の人であれ、どんな職業人であれ闘病者であれ一人の人間が生きているというのは凄いことだと私は圧倒されてしまう。

 次にみなさんに知ってほしいのは臓器移植法のことです。一つの例をあげてみると、彼が死ぬ4ヶ月前にドナー登録をした。白血病患者に骨髄を提供してその命を救うことができたら、心を病む自分にも新しい光が見えてくるのではないか何か自分にも新しい光が見えてくるのではないか何か自分に、いい意味での「重し」のようなものができるのではというような気持ちがはたらいていたそうです。白血病患者に適合する骨髄は数百人から一万人に一人という低い数字です。骨髄バンクに登録できるのは、十五歳以上で正常な臓器であれば移植が可能です。もし洋二郎のような考えがある方は、ぜひドナー登録をして一人でも多くの人々を救えたらいいと思います。
  僕はこの本をよんで「生と死」の問題が、多くの読者の心に「共有する終わらない過去」として受容されたこと、それによって「心の旅」を語り続けねばならない気持ちにかられたことである。この心の旅とう言葉は自分の心の中に残っている、生と死は家族のだれかの身体の中で生きつづけていると思う。

 今、私たちは混迷した時代を生き、世代を超えて共有できる物語を喪失しつつある。わずかに共有し得るのは、著者のいう「二人称の死の物語」であろう。二人称の死とは、自らの人生や生活に深く関わった者の死だと自分ではそう思う。私たちはより良い生を全うする ことも、より良い死を迎えることも至難な時代に生きている。そうした時代であるからこそ、人間が生きるとはどういうことかを複眼的な眼差しでみつめ直す作業が大切だと思う。

 最後にこの「犠牲」への手紙を読んでの感想は自分の死への考えがあまかったように思います。この犠牲という本はよんだ人に大きな励ましや勇気を与えてくれたと思います。とても自分の心の中にしっかりと残った文章でした。この本をよんで本当によかったと思います。とてもいい勉強になったと思います。これからもいろいろな本をよんで、少しでも多くの知識をえられるように努力したいです。