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  (管理職つらい時代です。定年まであと少し、がんばりましょう。)

能力に貴賎はない 

 能力ということを考えることがあります。たとえば松井選手です。ヤンキースに在職し活躍しています。しかし もし野球と言う競技が存在していなかったら 彼は大金をもらい有名になっていたでしょぅか?
 例えば浜崎あゆみです。彼女が昭和20年代のメロディ中心の時代に生まれていたら果たして彼女は歌手として成功していたでしょうか?
 例えば大食い選手権のチャンピオンです。たくさん食べることができる、それが優れた能力であるかどうかは疑問ですが もしもTVの企画が無ければ彼がちょっとした有名人になれたかどうか、たぶん ただの大食いで終わったでしょう。
 例えば部屋を片付けられない人です。こういうのがTVで視聴率をかせぐとは思ってもいませんでした。この世にTVが発明され,片付けがTVの企画にのったために こういう人もTVの画面に登場できるようになったのです。
 と、このように考えていくと(お金を稼ぐ)(有名になる)(高い地位につく)とか言うのは 生まれた時代にそういう能力を評価する職業なり 社会の傾向なりがあったからだと言えます。松井選手も浜崎嬢も大食いチャンピオンも誰も彼もみんな特殊な能力が確かにありますが 能力があるからといって成功するというものではないのです。その能力を取り上げてくれる社会があるから今の地位があるのです。
 私が長い間 誤解していたことがあります。それは勉強ができた者がエライということです。勉強ができた者はすごい能力があると思い込まされていました。ある時「有名大学の入学生の能力はインベーダーゲーム名人のような能力である」と書いているのを読み、びっくりしました。考えてみれば 戦国時代に生まれていると 学問ができたことはたいして評価されません。戦略家であったり、腕っ節が強いことが大きく評価されたのです。縄文時代であれば食べ物を家族まで持ってくる能力が評価されたでしょう。
 養護学校ですごいなあと思う人に出会うことがあります。冬のプールにドボンと入っても平気な人(寒中水泳大会TV選手権があれば上位入賞します。)鳥のまねが上手な人(鳥寄せ選手権があれば上位入賞です。)ほかにも気分転換のはやい人、歌の中にすぐに気持ちを入れることができる人、牛乳が口の中にあるのに唇の真ん中をほんの少し開けて 牛乳を口からこぼすこと無く「みかん」「チョコ」とか明確に発音する技術を持っている人[私もまねしてみましたが 牛乳を噴き出してしまいました。]
 自分にどのような能力があるか,自分のことを知らずにいる人は多いです。「たまたまこの能力が今の時代に合っていた。振り返ってみると 得とか損とかよりも何億分の一の確立でこの世に生まれてきたことが何よりもうれしい。人生に失敗は無いんや」と言っていた、鶏の雛の雄雌鑑定家の言葉を思いだしました。
 さて、どの人にもある能力。それは 自分のお母さんの心をひきつける能力です。お母さん,お父さんはわが子のことになると一生懸命です。