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「エフコのこと」

・ 私は長い年月に渡って、カウンセリングを受けてきました。私は今まで・病気知らず元気一杯の何でも引き受けてくれる。頼まれればいやと言えない。元気はつらつ。いつもニコニコしている。・そんなおばさんでした。
・ 5年前病気になりました。その頃は、まだお金の必要な子育ての時代で、親の介護がある時代でした。きつい、しんどい、体を押して頑張り、やりとげました。
・ 今年に入って、子育ても介護も終わりました。そして、私自身の根本的病気治療にとりかかりました。入院をした時期もありました。今は自宅療養中です。
・ 病気治療を受けることにより、病院のベッドの上で、考える時間が持てました。退院して、自宅に帰れても、体が動かないので、布団の上で寝てばかり。ACの心が・家事だけはこなさなければ。この家での私の存在価値がない・との思いで這いながらという表現のままに家事をこなしてきました。
・ 今は病状もよくなり、だいぶ楽になってきました。しかし動きすぎると毎日のように熱が出ます。
・ 今思います。病気するのも悪くないな! もの心ついてより、心も体も・人に嫌われたくない・と必死に動きに動いてきました。こんな体も心もゆったりできたのは、今がはじめてです。
・ もちろんカウンセリングの積み重ねで、心が少しずつ少しずつ楽になってきていました。そこへ持ってきて、体が動けないのでじっと寝ていることしかできません。
・ 私の場合、一番しんどいのは、夫との関係です。結婚して30数年、核家族です。
・ ずっーと、夫に対して心が萎縮していました。ずっーと、ずっーと、夫に対して、反論ができなくて、私が悪いから、こうなるのだと思っていました。
・ 夫は頭が良くて、頭の回転がはやく、ああいえば − こう。こういえば − ああ。とすぐに言葉が口から出て、その言葉は、私にとっては、いつも、私をせめる言葉、叱る言葉、私を怒る言葉に聞こえていました。私は頭の回転が悪く、数時間たってから「あっ、あの時夫は、こういうことを言っていたけど、私は、そのことについて、納得できない」と思っても結局、そのことを声に出すことはできなく、そのまま夫の言いなりになっているのが常でした。心の中には、不満を溜めて!
・ カウンセリングを受けるようになり、相当時間がたって、夫と私は・一心同体ではない・それぞれ個体が違うのだということを主張できるようになりました。
・ 夫は、それに対し・個体が違う、個体が違う・を私の抵抗の言葉としていた時期があります。
・ 最近カウンセラーの先生から、・あなたは充分やってきた、夫に何を遠慮するのですか!・30数年の夫婦の歴史を話した時。おっしゃって下さった言葉です。
・ はじめて、私の中に、丸ごと私の全部を認めて下さる人がいた!!・と自分の心で、体で感じることができました。それから2日くらいたったでしょうか私の心の中で、体の中で、私が私自身を認めて、よくやってきたと思える時がきたのです。
・ 世間の人は、貴女は頑張り屋さんや、朝、新聞配達して、お昼はヘルパーさんをして……赤児を背中におんぶして、新聞配達する人やおらんで! そんなことできるん、貴女だけじゃワ!といわれたこともありました。
・ 私は今までいやなことから逃げる為に、夕食の片づけをいそいでして、お酒をしっかり飲んで寝ていました。時には、キッチンドリンカーで、食事の準備をしながら、……
・ 今は病気治療中だから、お酒が欲しいとも思いませんが。体調が良くなっても、もうお酒に逃げなくていいと思います。
・ 私達夫婦はもう、老人の入り口、老後があります。やっと、私の心がやわらかく、ほんわか〜となってきました。後何年、何十年、夫婦でいられるかわかりませんが、二人で仲良く、楽しい老後を過ごしたいと思っています。
・ 今、この年齢、この時期に私の心がやわらかくなれたのは、幸せです。

受理: 2002.12.27     エフコ