コア開催20周年を迎えて

コアの会の会員です。

1996年春、第三子が大学に入学し自宅を離れたのでホットした。その時、はじめて精神福祉保健センターへ足を運んだ。コアの会はその時知りました。コアの会には、その年8月にはじめて参加したように記憶しています。

アダルトチャイルド・ACという言葉さえ知りませんでした。カウンセリングの先生からも「貴女はACです」と言われたことはありません。先生はカウンセリングの度センターにある本を読むようにすすめてくれました。はじめてアダルトチャイルドという言葉を知りました。私のしんどさはこれだったのか!とはじめて知りました。戦後生まれの私。家は貧乏だけど両親は揃っている。母は病的だが勝気な人。父の家系は酒好き。祖父は酒が入ると酒乱になる。父の長兄も大酒飲みだったと聞く。父もやはり酒好き。しかし家が貧乏だったので家では酒が飲めない。祭とか祝い事の振る舞い酒で酔いつぶれる。母が父を迎えに行くが、父は母の言うことなど聞く耳持たず帰ろうとしない。そんな時父のお気に入りの私が、「お父ちゃん帰ろうよ。お父ちゃん帰ろうよ。」と私が迎えに行くとやっと帰った。

時は流れた。結婚は22歳。3月20日が卒業式で、結婚式が1週間後の3月27日。学生時代が終わりすぐに新婚生活。二人共働きで、その時代は楽しく過ごしていたように思う。子供が生まれ、家を持つことになり、職場から遠く、共働きができなくなった。夫は共働きの時と同じようにゆたかに小遣いを持って行く。子供が三人になった。家計は火の車。第三子が生後5ヵ月から新聞配達をはじめた。夫は「新聞配達など世間体が悪いから止めろ!」というが何の協力もない。家族に負担をかけなく金を稼げるのは、皆が眠っている間に働くしかない!と新聞配達を続けた。第三子にお乳を飲ませ、おむつを替えて、サァ出発。自宅の近くの配達だったので家に様子を見に寄ると第三子が泣いている。背中に背負って自転車を走らせる。そんな時が続いた。しかし夫はそ知らぬ顔。

月日は流れ子供達が大学受験の時を迎えた。夫は「わしの役は子供を高校卒業までの教育を付けること。大学教育までつけさせることは考えていない。」というが私は子供達に教育を付けさせたいとの思いがある。夫を説得し、国立大学だったら行かせてもよいとの返事をもらった。第一子は国立大学へ行った。第二子、第三子は私立大学に行くことになった。私は子供達皆同じように教育を受けさせたいとの思いだった。私は頑張った。朝2時に起きて、新聞を配り、帰宅後朝食を作って洗濯をし、その後仕事に行くことを続けた。夫は何の協力もなし、家計についての相談をしようものなら、だんだんと不機嫌になり「わしにどうせというや!」と捨てセリフを吐いてドアがこわれるほどにしめて自室にこもる。又、何を相談しても必ず反対の言葉からはじまるか無視をしておまえは生きている値打ちがないのだと思わせる。しかし自宅外ではいい人で通っている。何かをすれば怒られることからはじまる。私は長い結婚生活の中で何度命を断とうと思ったことか! 子供達が小さいからこの子供を置いて死ぬわけにはとの思いでとどまり、老いた親より先に死んでは親を悲しませることになると、とどまった。いつも自分をせめ、アダルトチルドレンだから、こんなにしんどい思いをして生きなければいけないのだろうとの思いで生き続けてきた。2013年11月、コアの会のメンバーの彼女より「あんたのダンナはこれだわ!」といって一冊の本を貸してくれた。「家庭モラルハラスメント」の本を読んだ。私のしんどさはこれだったのか。本に書いてある8割9割方我家の夫の行動と同じ。私のしんどさはこれだったのか! 結婚生活43年しんどかったのは、これだったのか!

1ヵ月近く何が何だかわからないが、心も体も重い。それから思った。この夫と離婚するということは考えていない。でもこれからも夫は変わらないだろう。だったらこの夫と夫婦を続けていく中で、私自身が生きやすく楽に生きて行く方法でいこうと。それからは上手に夫との心の距離を作るのができ、心が楽に通わせている。今は私自身が前を向いて一生懸命に生きてきたことにより、私達の子供3人、しっかりと生きることができている大人に成長してくれたこと、夫婦揃ってここまでこられたこと、これで良かったのだと思っている。

執筆:エフコ (2016年.2月記)