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体験記 (89)

 子供時代から自分は人に好かれない。いじめられ、のけ者にされる。私には冷たくされる。そんな事ばかり考えて、人との交際を楽しむことなくすごした人生だった。
 神経質者は精神的に幼稚であると言われるが、これは上記の様な事を気にして悩み、人中へ行くのを嫌い、各々年代毎に体験する様な人生経験が少ないので、結果として、未熟で物事をあまり知らない人間として、大きくなってしまったのである。そんな人間が社会の中へ入っていくと、人々は世の中のいろいろなことを知っているけれど自分は何も知らない、どうやって人の中へ入っていったらいいのかわからないということになる。その要因として家の中で敵味方に分かれている様にケンカがたえない家庭の中で母から「私と恒雄と康子(妹)を追い出しにかかっとる」としょっちゅう聞かされて育ったので、人から排斥されるという考え方が固定されたように思う。つまり母から洗脳を受けたようになったと思う。母のそのような言葉に対して父は母に対してガミガミと叱りつけており、私には上から押さえつけられてるような態度であったから家庭の中で萎縮してしまって自分から行動できなくなって外へ出ても人の顔色ばかりみる人間になったと思う。加えて母は私を守る為にすべてに対して母が助けてくれた。困ったことがあれば母に訴えればよかった。父の威圧的態度と母の過保護によって人に対して臆病になり、そのくせ困ったらすぐ人を頼って自分で解決することができない、幼稚な人間になっていたのである。
 これは、会社の中でも同様であった。仕事で問題がおこっても自分で処理するのでなくすぐ人に助けてもらっていた。特に会社の人間関係でゴタゴタすると上司及び先輩たちに泣きついて助けてもらっていた。周囲の人も(山下はすぐ気にしてクヨクヨと悩むから)と言ってすぐ助けてくれた。そういう意味で会社の中でも過保護になっていたと思う。ぬるま湯につかっていたようで、その境遇から抜けられずに定年をむかえたのであった。そんな風に生きてきたから親しく付き合う友人などできるはずもない。従って(親友は喜びを倍にして悲しみを半分にする)という気障な言葉を耳にしたが体験のない私には信じられない。
 私の頭には他人は自分を嫌って排斥する。自分の損得しか考えてなく都合のいい時だけ上手に利用してくる。そういう風にしか考えないかたわの精神になっていると共に視野の狭いひねくれ者になっていまっているのである。人間関係においては自分から働きかけていくようなことはしなくて相手から働きかけてくれたらそれに従うという風であった。このことを発見会では「皆から優しく優しく接してほしいんだよ」と言われてたが正にその通りであったと思う。
 これは親の庇護を必要とする子供の態度ですよと教えられた。体は大人でも心は幼稚な子供であったと思う。それでいて相手が筋の通らん、間違っていると思うとその人を許さんという所があり、自分では正しいと信じても結果として思いやりのない冷たい人間になっていたと思う。
 対人関係において感情的トラブルに恐怖する元となったのは幼少期に3日にあけずケンカケンカの家庭で育ったトラウマが原因であることは分かったが、やり直しのきかない人生で、私のトラウマは一生続くものと思う。加えて母の洗脳はまだあった。人の言動に対して「あのひとはあゝ言っているが本心はこうなんだぞ」と逆の意味のそれもネガティブな考え方ばかり教えてくれた。
 母は洗脳という認識はなく、ただ自分が思ったことを私に教えてくれただけだろうが、母親べったりだった私は結果としてそう考えるクセが身についてしまったのである。
 昔、海野先生が「普通の家庭で普通に育ってたらこんなにはならなかった」と言われたが、これは私の運命的なものであろうし早くからそれに気がついて母から離れて自分で生きていかなかった私の責任もあろうと思う。しかし困ったことがあれば母しか頼れる人はなく、母も何かあれば「恒雄これしてくれあれしてくれ」と言ってきたり行きたい所があれば必ず私に「恒雄 連れていってくれ」と言ってくる母を見捨てることはできなかった。その点、康子(妹)は、母の甘え及び無理に対して、冷たく突き放して放っておくことができた。それを私はきついなと思ったが、その為に私のようにはならず心の強い人間になったと思う。昔母が「康子はお父に似て薄情な」と言ったことを思うと、妹は父の遺伝を受けて生まれたのかも知れない。
 これを思うに人間の性格はある程度、遺伝の力も関与しており、それにより運命も変わってくることも考えるのだが、どうであろうか?

執筆 :(T.Y)