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体験記 (88)

 人が自分を嫌っているか好かれているか、そして不潔物がついたと思うと気のすむまで洗うという強迫行為に苦しむ人生であった為に、人との交際を心から楽しむことなく定年を迎えたが、この傾向は今も続いており、これからも続くと思う。努力が足らないのだと人は言うかも知れないが、でき上がった性格のクセというものは条件反射的におこってくるのは否めない。
 自分の苦しみとそれからの逃避に明け暮れていたので子供に対して父親らしいことはやれなかった。
 子供と一緒にキャッチボールをして遊んでやるとか、困っている時に相談に乗ってやる様なこともしなかった。正に父親失格であったと思う。娘からは「お父さんが何してくれたんや、親子の縁切ってもええぞ」と泣かれた時は何も言えなかった。息子が東京へ行ったまま帰ってこないのも私を嫌って出て行った為であろうと思う。
 家内の言うには、息子が「あんな親ならいらん」と言って出て行ったらしい。その後体をこわして一度帰ってきた時は、普通であり、「お父さん金に困ったら言えよ」と言ったり、電話してもすぐ出たり、東京へ家内と2人で会いに行っても飛行機の予約から、羽田まで迎えにきたり滞在中はいろいろ案内してくれたりして何も嫌っている風ではなかった。しかし最近になって電話してもメールしても無視、東京へ行っても会えなかったのは明らかに私を嫌って避けたのであろうと考えるのである。
 家内からは「家族を幸せにすることをしなかった」とも言われた。森田療法は(神経質者は自分中心である)と言われるがそれが強かったのかも知れない。海野先生からも「自分の事しか考えてないんだ」と言われたのを思い出す。神経質じゃあない人も自分中心の人はいる。彼等は、自分を正当化する為に相手を攻撃して、何ら気にしないものである。反面神経質のそれは自分を守る為、または症状から逃れるものである。人に会って緊張するのが苦しいから必要があっても逃げて会わないとか、体の違和感の為、何回も救急車を呼んでしまう等々、どこまでも自分の苦しみから逃げる為の消極的なものである。
 熱があってしんどい、腹が痛い、怪我をして包帯を巻いている等の肉体的疾患に対しては誰でも理解して共感を得られるが、神経症を含めて精神的疾患に対しては理解共感は得られず、必ず偏見の目で見られるのが現実の世界である。私の場合は他人の言動がすべて自分に対して敵対してくるように思えて苦しむのであった。もちろん長い人生の中で、気の合う人合わない人いろんな人がいるので私のような人間は嫌いだけど社会人として表面上は努力して普通に接している人間もいると思う。
 しかし大半は私の関係念慮であったろうと思うが、私にはすべての人々から疎ましがられていると思うのであった。
 考えが間違っているから行動が間違う。行動が間違うから症状となって苦しむのだ。その裏には自分に関係する人々すべての人から良く思われたいという欲望の過重からおこるのです。すべての人から良く思われるのは現実には不可能です。この様に教えられたが、強情な私は全く考え方を変えずにこの年まで苦しんできた。正に森田の劣等生であったのである。
 森田では神経症者は自分の思うことと反対の結果になると教える。すなわち対人恐怖は恥知らずになると言うのであるが、私は正にそういう生活をしてきた人生だったと思う。ほんとうは皆と仲良く和やかな人間関係になりたいが、筋の通らんことをすると思うと気持ちとは裏腹になりその人間をよせつけず、人と仲良くできないと悩んできたのであった。

執筆 :(T.Y)