index

体験記 (80)

 森田で教えられたのは、これ以外にもいろいろあるが、私は特に自分に関係する人間との感情的トラブルが恐かった。(身内 会社 近所の人々等)相手との折り合いが悪くなり人間関係に溝ができるのを常に恐れて、この人に誤解された、嫌われたと思うと、その人に会うのが苦痛になるのであった。 人が自分をどう見ているか、好かれているか嫌われているかを常に考えている為に、いつも相手の言動に一喜一憂するのであつた。そして明らかに文句を言ってきたりして私を攻撃してきた人間を許せなくその人を寄せ付けないのである。そうなった人間とは物も言わなくなる。(その内容が相手の誤解だった場合はなおさらである。)
 一度対立的になった人間に声かけて相手の反応が自分の求めるものと違った場合、やっぱりもうこの人とは仲良く和やかな関係にはなれないと考えて、次回は物言うのが恐くなり黙って無視したようになるのでますます溝が深くなり、修復できなくなってしまうのである。執念深いのであろうか? 森田では(相手から優しく声かけてほしいんだ、要はチヤホヤしてほしんだ)と言われた。それでいて自分は頑なに態度を変えず本当に嫌われてしまっていた。
 (頑固でわがままで、自分中心なのですよ)と教わったが、でき上った性格の癖は一向に変わらなかった。
 これは母方の血を受け継いでいる。母の親兄弟たちにこういう傾向があった。これからみても性格も遺伝の影響を無視できないと思う。
 一方幼少時の親の教えも影響するのではないだろうか?
 5人兄弟の中で女は母一人であり「伯父たちは身内だが伯母たちは他人だぞ、伯父たちは親身になって心配してくれるが伯母たちは親身になってくれんぞ」と折に触れて教えられた。
 無意識の内に他人と身内を区別する癖がついたように思う。父も身内が薬の行商をしていた為か「商売人が損するようなことするか」ということをよく聞かされた。「封建時代には士農工商と言って商売人は一番下等とされていたのだ。口先だけで金を取るんだ」と教えられてきた。
 明治生まれの父は戦時中、行商先の漁師の家にいた時、一人の婦人が「息子に召集令状がきたので、最後になるかもわからんから、息子に尾頭付きの魚を食べさせてやりたい。どんなに高くてもいいから一匹分けてもらえないだろうか?」とやってきた。その時漁師は「この魚は全部配給になっているのでワシでも自由にできんのだ」と言って何度たのんでも売らなかったそうである。その婦人があきらめて帰った後、漁師が父に「薬屋さん欲しい魚があったら売ってあげるからどれでも持って帰れ」と言ったとのこと。その時父は「それだったらあの婦人に売ってあげたらいいのに、他人とはそんなものだぞ」とわたくしに言って聞かされた。他人とは、そういう意地悪をするものだと私の頭の中にインプットされたのかも知れない。
 (商売人が損するようなことするか)と言う父の言葉は、私にはうなずける体験がある。番屋の家で禽舎を作って、いろんな鳥を飼っていた。その中に高麗雉という朝鮮半島原産の首に白い輪の入った黄色系の雉がいたが、雄が死んでしまった。どこかにいないかなと探していると高松の峰山で見付けた。話をすると「3,000円ぐらいで買えますよ、社長に言ってあげます」と言われたので買おうと思っていたら「今は繁殖時なので5,000円ですと言われたので」と言うので繁殖が終われば3000円になるかなと思い夏にもう一度行くと今度は7,000円だと言う。欲しがっているので足元を見られたなと思い、あきらめた。後日志度の美登庵へ鴨料理を食べに行って、何処かにいないか女将さんに聞くと「十鳥さんという農家の人がやってますよ」と言って電話番号を教えてくれた。十鳥さんに電話して道を教えてもらって行くと、「飼うのだったら高いですよ」と言うので値段を聞くと1,000円だと言う。安いじゃないか、すぐに買った。峰山の業者にはぼられたのである。十鳥さんは1,000円でも利はあるから売ってくれたのだ。やはり農家の人は正直である。

執筆 :(T.Y)