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体験記 (72)

 神奈川での4年間、横浜集談会へ毎月通っていたが、高松集談会のように個性が強く感情的なトラブルになる事がなかったので、ここでもまた居心地のよい場所であった。
 足利寮(箱根の山中にある発見会の施設)での一泊学習会、茅葺き屋根の古い民家で、かまどで薪を燃やしての食事作りから風呂焚き、部屋掃除等、皆で手分けしての作業、そして2日間にわたり森田理論の学習をしたこと。
 そして、ここは足利山と呼ばれ、熊と遊んだ金太郎の童謡で有名な山である事を教えてくれた。
 12月には横浜の店でクリスマスパーティーを行い皆がプレゼントを持ち寄り交換し合った事(社交性のない私はこういう体験は全くなかったので新鮮で感激したのを覚えている)年末の忘年会は手料理をしようと言って、女性会員に教えてもらいながら皆で作って食べた事。
 春の一日に有志数人で高尾山へ ハイキングへ行った事等、不潔恐怖で会社へ行くのは苦しかったが、横浜集談会の思い出は高松集談会よりよかったと思っている。(30数年の今、振り返るからかも知れないが)生まれて30年余、対人恐怖で苦しみ人は自分を嫌っていじめると思い込み、花ばかり育てて人との交際を避けてきた私はすべてが新鮮で珍しくまさに井の中の蛙そのものであったと思う。(今でもこういう傾向は残っており、でき上がった性格は変わり様がなく、これは生涯続くと思う)
 では横須賀では全く対人恐怖はなかったのかというと全くの零ではなかった。
 会社で溶剤が体にふれるのを恐れて仕事にならない事を訴えているのを係長に聞かれ、溶剤を恐がっているのがバレてしまい嫌がらせをされた。私のすぐ横で溶剤が混じった水たまりの水を足でピチャピチャと飛ばしてきて近くの人に「恐いんだよ」と言っているのを聞いた。 係長は私に腹が立っているから、わざとこんな事して来るのはすぐ分かった。理由がないわけでもない。
 工場長に話をして部署を変えてもらった事(こんな性格の為、夕方暗くなって皆が帰る頃仕事に行くのは寂しくて食事も喉を通らなかったのだが、これは困難から逃げる事しか考えない私の幼弱性の為であったのだ。会社から見れば我がままとしか受け取ってもらえず、私に責任があったと思う)
 そういう事でこの係長からはその後もいろいろ暴言を浴びせ掛けられ、係長に会うのが恐いという対人恐怖もあった。しかし当時は不潔恐怖が大きなウエートをしめていたから、常時、対人に苦しむという事はなかった。不潔に関しては四六時中頭から離れなかった為、会社へ行くのが辛かったのである。加えて夜勤になると夕方皆が帰っている時に、今から仕事だと思うと胸が締め付けられるようになり寂しくてどうしようもなかったのである。(これは子供の心であったと思う)
 神戸の岡さんに電話してその旨を訴えた所「ホームシックではないのか?」と言われたが、家族がいるのと会社以外は環境が良く気に入っているのにホームシックなんかではなく、神経症の苦しみであった。27歳の時、海野先生から「君は何に対しても恐怖するんだ」と言われたが自分が嫌と思う事は絶対になくしたいという思いが強く、これは自分の思う通りにならないと気がすまない、我がまま一杯に育った為であったと思う。

執筆 :(T.Y)