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体験記 (68)

 学習会を受けて森田理論を学んでも、症状に対する考え方と苦しみは変わらず、仕事に行くのが苦痛になってくるので、工場長の所へ行って、この悩みを打ち明けた。工場長は最初、驚いたみたいだが、「考えすぎだ。溶剤なんか心配ないぞ」と言われたが、それでも職場を変えてくれた。工場長は「あそこなら溶剤を使わんから大丈夫だろう」と言ってくれた。
 直接溶剤に触れない仕事だったので、少しは安心したが部署が違うだけで、会社は同じなので溶剤のついた台車等が運び込まれるので、間接的に溶剤に触れる事に変わりはない。仕事中は仕方がないが、仕事が終われば時間をかけて洗うことに変わりはなかった。
 対人恐怖も不潔恐怖も一度とらわれたら無意識の状態にはならない。4人がチームを組んで仕事をしていたが、こんな事で悩んでいるのは私だけである。他の人は何処へ触っても平気でそんなに洗いもしない。
 4人のチームの一人に田村さんという若い女性がいた。仕事が終わって現場の掃除をしていると「山下さん一緒に帰ろう」と言うてきた。私は京浜急行で通勤しており追浜駅(おっぱまえき)まで20分歩いて帰る。田村さんは追浜駅の裏の寮にいるので方角が同じなので言うてきたのだろう。一緒に帰るのは悪いことではないので、一緒に帰った。
 それからは毎日のように「一緒に帰ろう」と言うてくるので毎日一緒に帰っていた。よく喋る女で私はもっぱら相槌を打つ方が多かった。歩いていると500円札(当時は紙だった)が落ちていた。私が「金が落ちとる」と言うと田村さんは「あっほんとだ」と言ってすぐ拾った。彼女はその金を手に持ったまま、いつも通り話しかけてくる。私は話より金の方が気になっていた。この女この金をどうするつもりだろう。手に持ったままである。見つけたのは私である。少し歩くと駐在所があった。届けるのだろうかと思ったら、それもせず素通りで追浜駅についた。結局自分が持って帰った。
 二人で拾ったのだから、私なら分けるのだが、この女はこういう女かと思った。翌日何もなかったように普通に話しかけてきた。私ならこんな時、相手がどう思っているか気になって仕方がないが、この女は気にしてないみたいだ。
 その後も「一緒に帰ろう」と言うので帰っていたが、ある日「お腹すいたね」と言うてきた。仕事したんだから腹も減るだろうと思い「帰ったらすぐ食べたらいいよ」と言うとその日はそのまま帰った。翌日からは毎日「お腹すいたね」と言う。最初は本気にしていたが、追浜駅の近くにある食堂が近づくと言うてくるので、この女は(飯食いに連れて行け)と暗に催促しているのを感じた。翌日も食堂が近づいたので、もう言うかなと思うと案の定「お腹すいたね」と言ったので、これは間違いなく(飯食いに連れて行け)と暗に言ってきていると思った。同僚だから一緒に帰るのはいいが、そこまでする様な関係ではなかった。まして500円を取り込むような女に食事をおごる気はなかった。翌日も「一緒に帰ろう」と言ってきたが、私はもう帰る気がしなくなったので、更衣室で時間をつぶしてすっぽかした。伊藤という男が「山下さん洋子ちゃんが待っているよ」と言うてきたが出て行かなかった。田村さんは正門前で待っていたらしいが、時間が経って出ていくともういなかった。翌日も同じようにすっぽかしたので、もう一緒に帰ろうとは言わなくなった。
 そのかわり今度は私の悪口を言い出した。(一緒に帰るのは止める)とはよう言わんのですっぽかしたが、別の方法でやんわりと断ればよかったのだろうが、人付き合いの下手な私は、それができなかった。
 あの時(お腹すいたね)と言うたのは、本当だったのかな、飯を催促したのではないが、食堂が近づくと言うので(それも毎日だった)それを私が悪く解釈したのかもしれない。
 対人恐怖で人の思惑ばかり気にして悩み、人付き合いの体験がなかったから、人への接し方を知らない所もあったのではと思うが・・・・。
 この件についての田村さんの本心は分からずじまいであった。その後普通に仕事はしていた。すっぽかした事で険悪な関係になれば対人恐怖に苦しんだと思う。
 そこまでならなかったのは幸いであった。

執筆 :(T.Y)