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体験記 (67)

 2週間悩んだが、会社を辞めることはできなかった。折角入った会社を辞めて一からやり直しする勇気はなかった。生まれ育った家を離れるのは寂しかったが自分がしたことである。それでも横浜に来てしまえばあの寂しさは消えて横須賀での生活になってしまった。
 会社へ行けば、やはり溶剤が体につくのを恐れて洗う生活が始まった。
 あまりに苦しいので退会していた「生活の発見会」を思い出して本部へ手紙をかいて近くの集談会の出席を勧められ横浜の集談会へ行ってみた。
 会場へ着くと初対面ばかりの人の中へ入るのには勇気がいり、ドアの前でしばらくちゅうちょした(神経質の気の小ささであろう)が、思い切って入っていくと、温かく迎えてくれてホッとした。自分の苦しみを訴えて森田理論の学習をするのであるが、とらわれるカラクリを教えられても頑固な性格の故か一向に良くならず、何ヶ月か通っていた時、仲間から本部の基準型学習会の受講を勧められ、当時、小石川にあった本部へ毎週土曜日の夜3ヶ月間通って初めて系統的な学習をした。
 理論は学んだものの感情は全く変わらず、やはり洗う生活を続けた。中間総括の時に「グチが多すぎる。あんたのようにグチを言う人はいないですよ」と講師からの強い叱責に涙が流れそうになった。
 意地っ張りでひねくれ者の私は、ここでは勉強だけすればいい。日記には絶対にグチは書くまいと決めて、意地でも書かなかった。(日記指導もあった)
 土曜日の夜、地下鉄を乗り継いで家へ帰るのは毎回夜中の12時頃になったが、3ヶ月の学習を終えても森田理論では、このように教わったと頭には残っているが、行動は全く変わらず、洗うばかりの生活に家内から「目で見て分からなかったら汚れてないと判断するんで見えん汚れまで取ろうとしても無理だろう」と言われたが、汚れがついたんじゃないか?と思ったらもう洗わずにはおれなかった。
 ついに家内が「こんな人だったら結婚なんかするんじゃなかった。もう別れたい」と言ってワーワー泣きだしたが、それでも洗う生活は止められなかった。
 離婚にならなかったのは、子供がいたから子供のために我慢したとのことであった。

執筆 :(T.Y)