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体験記 (65)

 気になりだしたら、あらゆる物が気になるもので、溶剤から始まった不潔恐怖が本当の不潔物にまで発展してしまった。
 トイレへ行った時、ズボンが便器にさわったように思った。さわったのを確かめたわけではないが、そう思っただけでもう汚物がズボンについたように思えて気持ち悪くて仕方なく、そのズボンで畳の上にすわれば畳に汚物がつくように思えてすわることができない。
 汚れてなくとも洗って汚れるということはないので、絶対安全なのは洗ってしまうことである。
 このようにして汚れたんじゃないかと思ったら即洗うようになった。道を歩いていると後で通行人がクワーと言ってタンを吐く。もうそれが飛びついたように思えて洗ってしまう。道を歩くにも、下を向いて汚物がないかと探しているような歩き方になった。
 外へ出れば必ず何か汚いものに出会うから、用事がない時は外へ出ないようになり、出れば必ず服とかズボン、靴下まで洗うようになった。
 そんな状態になっても、会社へだけは休まずに行った。四国にいた時も、対人恐怖で人から暴言を吐かれ嫌われている、煙たがられている、そう思い朝になると、休みたいと思いながらも、会社へだけは休まずに行った。こちらでも不潔恐怖で苦しく洗いながらでも会社へだけは行っていた。
 こういう精神状態なので、朝は体に鉛を入れたように重たく、そんな体を無理矢理会社へ持って行くのである。
 会社へ行ってしまい仕事が始まると、それでも仕事は普通にできるのであった。しかし一日中不潔を意識していることに変わりはないので、食事前、終業時に時間をかけて洗うのは毎日続いた。
 通勤は片道1時間かかるので夜8時まで残業をして家へ帰るのはいつも9時である。転勤から2年後の7月に入った時、いつものように家へ帰ると家内が「お父さん何しよったんな 爺ちゃんが危篤や言うのに早よ四国へ帰ろう」と言う。驚いて一瞬わけが分からなかったが、その後、今からは足がない。明日一番の飛行機に乗れないかと羽田へ電話するも「席はありません」と言われた。事情を説明してなんとかできないかたのんだが駄目だった。こういう時の為に少し空席を確保していると聞いていたがウソだったみたいだ。
 妹に電話すると、「もうどうしようもないわ、明日の新幹線でゆっくり帰って来い」という。この時、私はもう父の死に目にはあえないと覚悟した。
 その夜まんじりともせずに朝を迎えて、一番の新幹線に乗る為に東京駅へ向かった。

執筆 :(T.Y)