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体験記 (62)

 会社が、横須賀の浦賀に家を借りてくれて、家内と子供2人を連れて赴任したのが32歳の春だった。
 会社から正式に転勤の指示がきた時は、岡さんに言うんじゃなかったと思って悩んだが、横須賀に行ってしまうと案外心は落ち着いてしまった。
 環境が変わって何もかもが新鮮な為と、会社も、仕事及び人間関係すべてが新しく新入社員と同じなので誰も気にさわることを言わない為であったのかも知れない。
 引っ越しの荷物の整理も片付き落ち着くと、家族4人で浦賀の町を見て回った。
 最初は近くを歩きまわって道を覚えていたが、慣れてくるにつれ三浦半島から鎌倉箱根へとドライブしていた。
 四国を出る時は不安だったが、横須賀は箱庭のようでほんとうにいい所であった。街と田舎が共存していて両方の生活が味わえる。人口が多いから、どんな山の中へ行っても人に会わないという事はない。
 そしてここはアメリカ海軍第7艦隊の基地になっているので、何処へ行っても米兵とその家族に会うが、赴任した当初は異郷へ来た感があったが、慣れてくるとそれが当たり前になって何の違和感もなくなってしまう。
 箱庭のような町だから坂と階段が多い。そして土地の人の歩くのが早いのには驚いた。慣れているからであろうが、私はフウフウ言いながら登るがそれでも遅れてしまう。
 家の近くに防衛大学があって、時間がくるとチャイムではなくラッパを鳴らすのは軍隊を連想させる。
 私は戦後生まれで、戦争の思い出はないが、横須賀は いろんな所で戦争が現実にあったことが分かる
 東京湾で唯一の無人島である猿島へ息子と遊びに行くと、要所要所に砲台跡があり、ここから敵に大砲を撃っていたと説明があった。近くの崖をくり貫いて弾薬庫等が至る所に作られており、戦争の事実を現実にみることができた。
 防衛大学の正面玄関の奥に小型飛行機を置いていて、外から眺めて、あれはもしかすると零戦だろうか?と思い、もしそうだとすれば息子に見せてやりたいと息子と散歩する度に正門の前から眺めていたが、一般人は入らせてくれるはずがないと思い言いだせずに終わった。駄目で元々じゃないか思い切ってたのんでみようという勇気はなかった。
 こんな所が神経質で気の弱い所が出ているのであろうと思う。

執筆 :(T.Y)